今朝、電車の中で三重県のヤマギシの村・豊里実顕地の友人・ハシモトさんが亡くなった知らせを、長男の嫁からラインで受け取った。
ハシモトさんには、僕もずいぶんとお付き合いをいただき、そして、お世話になった。
長男家族も、いろいろと気をかけてもらって、孫も可愛がってもらい、大変お世話になっていた。
僕は毎月、定例の研鑽会で豊里実顕地に行くのだが、そのたびにハシモトさんは、僕も含めた4〜5人をハシモト宅に招いてくれて、1000円会費の「食事とお酒の歓談の場」を設けてくれた。
それも、ここ1年ほどは体調不調で途切れて、今日の訃報だった。
ハシモトさんの心遣いは、ヤマギシの村以外の会員にも好かれていた。
訃報を知って、メーリングリストに何人かが、ハシモトさんを偲ぶメールを流している。
その中の一人、京都在住のユキエさんは
「お顔を最近見ないなあと気がかりでした。その矢先の訃報、残念です。
高等部同期の親同士、どこで会っても、いつも元気に「○○ちゃん」と明るく声をかけてもらってました。
何より、私がヤマギシズムの人情に触れた方の中の5本の指に入る方です。
長男がまだ6年生で広島から三重に毎月楽園村に送った初日に、急性盲腸になって、急速に悪化して四日市病院で手術をしてもらいました。
広島案内所で研鑽会の最中に電話を受け、即広島から新幹線で着の身着のまま病院に向かい、術後の長男に会って、そのまま退院まで隣のベットで寝泊りしていたら、参画前の四日市会員のハシモトさんご夫婦が、着替えや生産物の食料を何度も届けてくれて、風呂にも入りにおいでと、不安な私に明るい声で気楽に声をかけてくれました。
本当に、あの時どれだけ心強かったか。お陰さまで楽しい病院生活。
私達親子にとって、本当にあったかい人でした。」
こんなメールを流している。
ハシモトさんの人柄がよく現れていると思ったので、ここに転載させていただいた。
長男の嫁からは、さきほどこんなメールも届いた。
「先ほど、ハシモトさんに会いに行ったよ。すごく良い顔していました。」
そして、奥さまや嫁と友達の娘さんが「めっちゃカッコよい顔しているやろ、俺やり切ったで、って顔している・・・」と言っていたと知らせてくれた。
嫁は「精一杯生きて、命を燃やして生きるってこんな感じかなぁって、思いました。」とも書いている。
享年58歳。
そんなハシモトさんの、明日のお通夜には行って、お別れをしたいと思っている。