水上勉の『桜守』を再読

            
 ちょうど、この花の咲きはじめた頃に、御母衣の谷は満水となりつつあった。十一月に貯水をはじめて、じつに半年目のことである。谷々の雪どけ水が流れ込んで、ロックフィルダムの所定の壁面に美しい線を描いて水がみちはじめた時、すでに、二つの寺院、三つの学校、三百六十戸のあった庄川上流の谷は、宏大な湖の底になった。村も木も地面も見えなかった。
 湖水は両側の山影をうかべ、ちりめん皺をたてて鏡のように凪いでいた。二本の桜は、新しい枝を張って芽ぶいた若葉のあいまからうす桃色の美しい花をのぞかせて、春風にゆれていた。この桜の根もとには、時折弁当をひろげて夕方まで動かない老夫婦の姿があった。どこからきた人たちかわからなかったが、おそらく水没の村を出て都会で暮している人だろうということだった。朝早くにきて、一日じゅう桜の根にいて、うごかない一組はふたりとも七十に近かった。老夫婦は日の暮れるまで、そこにいて、陽がかげりはじめると、桜の根に手をふれて泣いていたという。(文庫・167P〜168P)


◇この文章は、水上勉の『桜守』の中の一文である。
 先日のブログにも書いたが、僕はこの小説に20歳代の頃に出逢った。
 先週、その文庫本を書店で偶然手にして、その時の感動が忘れ難いので読み直してみた。
 実に、詩的な文章で織りなされた小説だと、あらためて驚いた。


◇この小説は、「桜博士」として有名な笹部新太郎をモデルにした小説である。
 笹部は、東大(当時は東京帝国大学)法科に在学中より、日本全国の桜を見て回り、桜に魅せられ、卒業後は犬養毅の秘書をしたが、職を辞して私財を投げ打ち、兵庫県宝塚市に桜の研究小舎や苗圃、演習林を造園して、独学で桜の研究に打ち込む。
 「ソメイヨシノばかりが日本の桜ではない」と、多数ある固有種・古来種の保護を訴え研究した人物だ。
 笹部75歳の時に、電源開発総裁の高碕達之助から御母衣ダム(岐阜県)の建設にあたり、水没することになるというエドヒガン(推定樹齢450年)の移植を依頼され、老桜の移植など無謀だと、学者や周囲の反対する中で移植を成功させた話は有名。
 小説の中では、ひたむきに桜を愛し、桜を守り育てることに情熱を傾けつくし一生を終えた庭師・弥吉という主人公の師・竹部庸太郎として書かれている。


◇先の文章は、移植された樹齢450年の桜の樹と風景の描写である。
 20歳代の時に、この小説に出逢い、感動して、そして岐阜県白川村の奥の御母衣ダムの、移植された桜の樹(荘川桜)を、どうしても見たくなって夜行バスで出かけた。
 そして、桜の幹に触れ、湖面を眺め、湖面を舐めて吹く風を頬に感じた。
 この『桜守』を読み直して、あらためてまた、それが蘇るようだった。


◇桜が好きな人、ぜひ、お勧めの小説である。
 先人が、どんな気持ちで、どんな志して、桜を愛し、守り続けてきたか。
 その結果として、いま、各地の桜の名所で、僕達は心の癒やしを得ていることが納得できる。
 
◇この写真は、「荘川桜 みんな応援 ファンページ」から借用