花にまつわるおしゃべり〝桜〟

 今年の東京の「桜開花宣言」は、例年よりも半月も早い先週の土曜日だった。
 今日の高田馬場の気温は23〜25℃と5月ごろの陽気。
 夕方、案内所から10分ほどの所にある新宿北郵便局に行った時に、明治通りを隔てた向かいの学習院女子大学の門の向こうを見たら、桜並木は3分咲き。
       
 今週末には満開だと思いながらシャッターを切る。
            


 僕は、桜と言ったら、時々、〝荘川桜〟を思い出す。
 僕がまだ20代の頃、岐阜県高山にある〝御母衣ダム湖畔にある荘川桜〟を訪ねる一人旅をしたことがある。
 なぜ、わざわざ飛騨の高山まで出掛けたかというと、
 一つには、水上勉の『桜守』を読んだこと。
 その中に書かれていた御母衣ダム建設にあたって、水没する地域の寺にあった樹齢450年の2本の桜の老木を移植、それに尽力した人達の物語に感動したこと。
 二つ目に、それが御母衣ダム建設であったということ。
 僕は高校の電気科の授業で、水力発電について学んだときに、東洋一のロックフィルダム岐阜県にあり、それが御母衣ダムだということを知って、なぜか見てみたいと思っていたのだ。
 
 この御母衣ダム建設にあたっての桜移植は、凄い話なのである。
 豊富な水量に恵まれた岐阜県庄川上流は、水力発電に最適の開発地帯。
 その荘川上流の御母衣ダム建設にあたって、1,200人の住民に故郷を去る決断をさせた当時の電源開発総裁・郄碕達之助は、桜の老木2本の移植を決断する。
 梅とは異なり、桜は外傷に弱い樹木。桜の老木の移植など例がない。
 さらに、電源開発で桜の移植などに費用捻出も例がない。
 そんな決断をした郄碕達之助に応えたのが、「桜博士」で有名な笹部新太郎や、桜を愛する職人。
 樹高約20m、幹周約6m、推定樹齢450年。
 自然を思いやる心、桜を愛する気持ちが一つになっての大移植作業。
 1960年に移植して、故郷がダムの底に沈んでから10年後、2本の老桜は、もとのように大きな枝を伸ばし、鮮やかな花を咲かせた。
 植樹史上例のない老桜の移植成功は、多くの人々の桜を愛する気持ちが共鳴して、奇跡を生んだ。
 その御母衣ダム湖畔に移植された桜を〝荘川桜〟と呼んで、毎年、満開の季節には、故郷が水没した村人たちが集まり、宴を催すらしい。
 ちなみに荘川桜は、ソメイヨシノではなく、エドヒガンという種類の桜だという。
 何とも感動的な桜にまつわる話なのである。

 それを題材にして、大移植をやり遂げた人々をモデルに、水上勉が書いた『桜守』を読んだ後、僕は迷うことなく休日を利用して一人旅に出た。
 訪れた時の御母衣ダム湖畔は、春の訪れが遅い飛騨ではまだ桜の開花には少々早く、人影もなく静かだった。
 それでも、見事に甦った老木を前にして、この老木に花が咲き、その下に集う人たちを想像して、僕は満足だった。
 あの「威厳に満ちた」というほか表現ができないほどの見あげる老桜。ロックフィル施工で作られた東洋一の御母衣ダム。満々と蓄えられた水が作る静けさと水面の風景。
 もう、かなり昔のことだが、今でも思い出すことがある。
           


 郵便局の帰りに通った諏訪通りの玄國寺に咲いていた〝しだれ桜〟は満開だった。