青木新門さんの講演会

 昨夜、映画『おくりびと』誕生のきっかけになった『納棺夫日記』を書かれた青木新門さんの講演会が、三重のヤマギシの村・春日山実顕地であった。
     

◇青木さんの2時間におよぶユーモアあふれる語りかけに、笑い、うなずき、感嘆し、聴く人それぞれの心に染み入る、その連続の講演会だった。
 それは、単に話術だけがもたらすものでなく、青木さんが納棺夫として歩んできた人生の中での実体験を通して、青木さん自身が考え、感得した内容だったからだと思う。

◇前半は、映画『おくりびと』が出来るまでの裏話というか、主演俳優の本木雅弘の熱意で映画製作になった経緯。しかし、送られてきた脚本をみて、自分の書いた『納棺夫日記』を原作として明記することを断った理由とこだわりの真意など、青木さんだから語れるし、講演会だから聴ける興味深い内容だった。

◇そして、「ここからが本題です。」と話された後半は、納棺夫をしなからの自他ともにあった職業的偏見からくる、妻や叔父との確執と葛藤の話。
 それからの脱出は、偶然にも昔の恋人の父親の納棺のとき、彼女の瞳の奥に感じた、その時の自分を丸ごと受け入れてくれている温かい輝く光だったこと。
 そして、危篤状態と聞き仕方なく見舞いに行ったときの、叔父の臨終前の笑顔と、言葉にならない「ありがとう」の呟きを感じたとき、一気にそれまでの確執が霧散してしまった体験談。

◇人はみな、死を受け入れた瞬間、あるいは受け入れの可否でなく、限りなく「生と死」が近づいたときには、すべての存在が愛おしく輝いて見え、すべての人とものの存在に感謝の心がわき上がり、それが優しい笑顔となって表れる事例を感動的に語っていた。
 そして、その臨終の笑顔に接するかどうかが、きわめて大切であることを、神戸の酒鬼薔薇聖斗と名乗って行われた連続児童殺傷事件を起こした少年の供述調書と、同じ年代でありながら、家族みんなで祖父の臨終を看取った少年の作文とを対比して、分かりやすく語ってくれた。
 それは、無意識の中にある「生と死」を分離した現代人の思考に対する歪みへの警告にも繋がるものだった。

◇さらに、青木さんが8才の時に体験した旧満州での弟と妹の死と、弟の亡骸を自らの手で、くすぶる石炭の上に置いてきたという臨場感あふれる体験談を聞き、それが青木さんの原風景となり、納棺夫として死に向き合った数々の体験が触発され、さらに原風景を形成して、その繋がりの中で結実した内容が、講演会のタイトルでもある、青木さんのいう『命のバトンタッチ』の真意なのだと思った。
 僕らは、研鑽学校Ⅲの中で、自分の原風景を探り、隣人の原風景を聴き、そこから繋がる現在の自分たちの心根を確認する研鑽(僕はそう受け止めている)をしている。そんなことをも彷彿させる青木さんの語りかけだったように思う。

◇最後に、青木さんが昨年刊行した『それからの納棺夫日記』でも、講演会で語られた内容や青木さんの思いが文字を介して語られているので、一読されることをお薦めしたいと思う。