「偲ぶ会」で浮かび上がる故人の生き方

 研鑽会が終わって、午後1時に三重のヤマギシの村・春日山実顕地を出発した。
 途中、東名高速の愛鷹SAに寄ったら川津桜が咲いていた。
        

 今夜は、先日亡くなったキミヨさんの通夜が7時からある。何とか、それまでには我が家・多摩実顕地に着きたいと思っていた。
 途中、事故渋滞があったので厚木ICで降りて、多摩実顕地には6時55分に到着。

 いろいろな方々が集まってくれていた。
 通夜の後の「偲ぶ会」は、それぞれがキミヨさんの思い出を語り、キミヨさんを偲んだ。
 ヤマギシでは、通夜に故人の「偲ぶ会」をやる。そこで故人のことを、出席者それぞれが語る。そこで初めて聞くような故人の様子も紹介され、それが重なり合って故人の多面的な人間像や生き様が浮かび上がってくる。
 大阪から来られた弟さんの語るキミヨさんの子供の頃や若かりし頃の話を聞いて、僕たちと一緒に過ごす中でのキミヨさんの言動に、そんな背景というか、育ちの過程があったのだなと納得した。
 キミヨさんは、几帳面な勉強好きな娘で、そして、お茶もお花も、そして洋裁も、高校卒業までに習い終えて、自分でお金を貯めて短大に通い福祉関係の資格を取ったらしい。
 弟さんの語るキミヨさんは「勉強嫌いな僕には、厳しい、こわい姉でした。何でもきちっとやらないと気が済まない姉で、よく怒られました。」
 そして、ヤマギシを知って、ヤマギシの村に参画する時には「明日から、ヤマギシに行くから」と突然言って両親を驚かせたが、その後、実家に帰っては「〝困ったことがあったら、ヤマギシに来たらいいんだよ〟と、年老いた母にも言っていたし、甥にまで言っていた。」らしい。
 お花の好きなキミヨさんなので、祭壇の遺影の周りにいっぱい花を飾ってのお通夜だった。
 明日が告別式で送り出したいのだが、残念ながらモンゴルに出張だ。
 キミヨさんから生前に預けていただいたモンゴル活動カンパを持って、モンゴルに旅立つことを添えて冥福を祈った。