葉室麟の『蜩(ひぐらし)ノ記』を読んで

 僕の読書空間は、通勤電車や出張の際の車中なのだが、ここ数日、路線沿線の火事や雪の影響で度々運行トラブルがあって、皮肉にも読書時間が思ったよりも取れている。
 そんな中で、直木賞を受賞した葉室麟の『蜩ノ記』を読んでみた。
        

 藩主の側室を、世継ぎをめぐる政争から危害がおよんだときに助け出し、一夜を刺客から警護したことが不義密通とされて、その罪をかぶせられ、幽閉先での家譜編纂と10年後の切腹を命じられている武士・秋谷が主人公で、その秋谷が残り時間を武士として清廉に生きる姿を描いた物語だ。
 そしてまた、秋谷の監視を命じられながら、秋谷の生き方に触れて心を通わし慕う青年武士・庄三郎、父の生き方を見ながら育つ息子・郁太郎、郁太郎の友人で百姓のせがれ・源吉。それぞれが男として生きる矜持を、これでもか、これでもかという程に丁寧に描いている物語だ。
 藤沢周平の小説『蝉しぐれ』を思い出したが、とにかく、場面場面の状況も、登場人物の動作や心の動きも丁寧に描写して、友とは何か、親の子に対する思いとは何か、家族の愛情などを考えさせられる。
 僕は特に、拷問での死の間際でさえも、妹が自分の死骸をみて悲しまないようにと笑顔で死んでいく百姓のせがれ・源吉の生き方に心打たれるものを感じた。
 最後は、
 無実の罪であっても、家譜編纂を成し終えた功績があっても、延命の道を選ばず、武士の矜持を貫き通して切腹する主人公・秋谷だが、死を前に、娘と庄三郎の祝言や、息子の元服をすませて死を迎えるにあたって
「・・・もはや、この世に未練はござりませぬ」と言うと、
 和尚は
未練がないと申すは、この世に残る者の心を気遣うてはおらぬと言っているに等しい。この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう」とさとす。
 秋谷は
「・・・やはり逝くのはせつないものでござる」と本心を言う。
 僕はこんなところにも、著者・葉室麟の死生観と読者への細やかな思いを感じてしまった。
 何とも、読後感が清々しいし、余韻が残る小説である。