映画『柘榴坂の仇討』を観る

 この映画の主演は中井貴一
 実に素晴らしい存在感ある俳優、いや役者といった方がぴったりくる武士を演じる中井貴一に、僕はただただ感じ入って観た。
 その容姿といい、そこから醸し出される雰囲気、そして着物姿も髷もよく似合う。武士としての所作も完璧に思える演技。 
 もちろん、共演の阿部寛広末涼子もよかった。
 しかし、こんなにも、何かを心に秘めた武士を演じられる役者は、中井貴一しかいないだろうと思える映画だった。
           
 幕末の桜田門騒動から物語は始まり、明治という時代の変革期に翻弄されながらも、武士の矜持を持ち続ける男の物語だ。
 主君・井伊直弼の御駕籠回り近習役として警護していた志村金吾(中井貴一)は、雪の桜田門外において主君の殺害を許してしまう。家督を譲った父と母は自害するが、金吾は切腹も許されず、仇討ちを命じられる。
 18人の刺客。斬死が1人、自刃が4人、自訴が8人、残る5人が逃亡。
 時代は明治へと変わっても、妻の支えで長屋生活しながら主君を殺害した刺客の逃亡者を探し続ける。
 13年の年月が経ち、逃亡している刺客も1人となってしまったことを知る。
 その最後のひとりで、車引きの直吉と名を変えて生きていた佐橋十兵衛(阿部寛)を見つけ出すが、その日は、明治政府が仇討ち禁止令を発した日。
 雪降る柘榴坂(ざくろざか)。
           
 人力車を引く佐橋十兵衛と、雪見を口実に客となって乗っている志村金吾。
 2人の交わす言葉に、時の移り変わりの中で翻弄されながらも、抱き続けている互いの矜持が絡み合う。
 佐橋十兵衛は潔く討たれることを覚悟するが、志村金吾はそれを許さず自分の大刀を貸して刃を交わし合う。そんな2人が、仇討ち禁止令も発令された時代の流れに乗れずに、武士の矜持を持ち続けている相手の姿に気付き、互いに、今を生きてほしいと思い合う。
 雪の中で「生きろ」ということを示唆するように、紅く咲く寒椿。
 これからの時代を、志村金吾はひたむきに支えてくれた妻と、そして佐橋十兵衛は同じ長屋で心寄せてくれている母娘と、ささやかに「生きる」決意をする。
 重苦しく、淡々と流れた物語に、この上ない温かさが加味されたラスト。
 僕にとっては、期待通りの十分に満足を得ることができた映画だった。
 さすが、「ホワイトアウト」や「沈まぬ太陽」の若松節朗監督だ。


 帰りに、このような映画を生んだ原作を読みたくなって、浅田次郎の『五郎治殿御始末』(中公文庫)を買った。
              
 この短編集に収録されている『柘榴坂の仇討』は40ページほどの物語だった。
 読み終っての感想は、
 若松節朗監督の映画『柘榴坂の仇討』は、原作となった小説『柘榴坂の仇討』を超えた作品になっていると、僕は感じた。