東京の桜(ソメイヨシノ)は、今が満開だ。
今日の4月下旬を思わせる陽気で、早速、散り始めている。
高田馬場の神田川の桜も、だいぶ薄緑の葉が出てきている。
春の花といえば、山吹の花も僕は好きだ。
今日は、その山吹の花のおしゃべり。
僕が毎日利用している高田馬場駅早稲田口。
早稲田通りの信号を渡ると、西武新宿線高架下とJR山手線高架下の壁に、大きな手塚治虫の壁画がある。
昔はただのコンクリート壁で、その前で千葉から来た行商のおばさんがお店を広げていたのだが、7〜8年前から「鉄腕アトム」壁画に変わったのだ。
なぜ、高田馬場が鉄腕アトムかというと、アトムは高田馬場が出生地なのだ。
漫画では、2003年4月7日に高田馬場の科学省で、天満博士の手によって誕生したと設定されているからだ。(手塚治虫事務所も高田馬場にある)
この西武新宿線高架下の壁画のテーマは、高田馬場や西早稲田地域の「歴史と文化〜過去から現在、そして未来へ」なのだそうだ。
江戸時代からの高田馬場の歴史、この地を舞台に起こった様々な事、未来へ伝えたい街の姿を、多彩なキャラクターで表現しているとの事だ。
この絵の中に、太田道灌の「山吹の里」伝説が描かれている。
明治通りを過ぎて早稲田大学の近くの神田川の桜並木の中に「面影橋」という橋が架かっている。その橋の近くに「山吹の里」の石碑があるのだ。
伝説によると、
『ある日、鷹狩に出かけた若き日の太田道灌が、にわか雨に遭遇して村のあばら家で蓑を借りようとしたところ、出てきた少女は無言のまま、山吹の一枝を道灌に差し出した。道灌は怒ってその場を立ち去ったが、あとで家臣から、少女の行為は「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という古歌に寄せて、蓑のひとつさえ持てないかなしさを山吹の枝に託したものだ、と聞かされて自分の無学を恥じ、それ以降歌道に精進した・・・。』(太田道灌と山吹の伝説:岡田広之著)という内容だ。
「山吹」と「高田馬場」は、深い深い関係なのである。
ちなみに、高田馬場商店街では「アトム通貨」も流通しているし、駅ホームの発車メロディーは「鉄腕アトム」の曲なのだ。