今朝のPhoto 富士山の冠雪

◇朝6時20分
 我が家・多摩実顕地の屋上から望む丹沢の山並みや空にも、秋の深まりを感じさせる。
 その山並みを丁寧にたどっていくと、わずかに頂上だけの富士山を望むことができるが、すでに冠雪・・・。
     
 ついこの間まで、残暑厳しいと言っていたのに、今朝の気温は15℃を切っている。
 日課にしている木刀の素振りには、暑くもなく寒くもなく、気持ちがいい。


◇夜『100分de名著・方丈記』を観る
 昨年の大震災以降、宮沢賢治と同じように、『方丈記』を書いた鴨長明が見直されている。
 日曜日の夜も、NHKETV特集で『今よみがえる方丈記〜日本最古の災害ルポルタージュを読む〜』を放送していたし、今夜も『100分de名著』で『方丈記』を取り上げていた。
 その『100分de名著・方丈記』の中で、
 福島に暮らし、大震災以降、心のありようについて積極的に発言している作家で僧侶の玄侑宗久さんは、次のように語っていた。
 鴨長明は、最後の最後に「執着を捨てる」ことに「執着」する自分は悟っていないではないかと考え、その自問に答える術を知らないまま、念仏を唱えて『方丈記』は終る。
 自分の考えさえも絶対だと決めつけない心のあり方を貫く長明の姿勢こそが、究極の〝無常〟ではないか。
 世界が移り変わるように、自分の心の在り様も変わる。
 信念を持ってしまうと、これと決めつけてしまう。
 一見、優柔不断なように見えるが、何が起ころうと悩まず、断定せず、全てを受け入れて揺らぎながら生き続ける。
 それが自由であり強くなることではないか。
          
 昨年末に刊行され、ちょっと気になっていた玄侑宗久著『無常という力・「方丈記」に学ぶ心の在り方』を、改めて読んでみようと思った。