〝癌〟についてのおしゃべり

 フリーでTVデレクターをやっている知人の女性・Nさんが「〜〜の乳癌日記」というブログを書いている。 
 彼女と僕が知り合ったのは、もう15年ほど前だが、彼女は45歳の時に乳癌になって、その自分の闘病記録を「おっぱいと東京タワー」というドキュメント番組にして放映されたのは2009年12月だった。
 その後、2度ほどお会いして話しをしたが、病気の方は再発も転移もなく、元気にドキュメント番組を作って活躍している。
 ときどき「今度は、こんな番組を作りました。暇があったら見て下さい。」というメールをいただくたびに、僕はホッとしたり、「活躍にしているのだなあ」と嬉しくなる。
 そのNさんのブログを、昨夜、覗いたら
 「しあわせな死に方」という文章を書いていて、読みながら僕も「そうだよなあ」と思ったり、最近、身近な人が癌の宣告を受けたりしたものだから、「死とは何だろうか、生きるとは何だろうか」と、今日はちょっと考えてしまった。
             

 そんな一日だったので、Nさん本人にはお断りしてないがここに転載し、彼女の心境を紹介したい。


◇Nさんのブログ「〜〜の乳癌日記」から

流通ジャーナリストの金子哲雄さんが 自分の死後のあれこれを 自らプロデュースされていたと知って すごく心を揺さぶられました。
斎場の手配から 笑顔での遺影撮影 参列者へのユーモアあふれる礼状や お清めの料理のメニューまで…
どんな気持ちで ひとつひとつ準備されたのだろうと思うと 切なすぎて涙が出ます。

40歳そこそこで 余命宣告される絶望感は どれほどのものだったでしょう。
平均寿命の半分しか生きられないわけですから 本当に悔しかったと思います。
気持ちの整理をつけようと思っても 最後まで納得することはできなかったでしょう。

だけどそれでも 41歳というのはさすがに早すぎるけど 金子さんの死に方は 言い方は乱暴かもしれませんが 私にとっては理想の死に方です。

私は45歳で乳がんになって 死に対する考え方が本当に変わりました。
それまでは何となく 「ずっと元気で暮らして ある日突然ポックリ死ぬのがいいな」
と思っていました。
死への恐怖や体の痛みで 苦しみたくないと思っていたからです。

だけど乳がんを宣告されて 幸い今のところ再発も転移もないけれど 
「自分はがんで死ぬ確率が高いんだろうな」と感じるようになると
それははたして不幸なことなんだろうか?
と思うようになったんです。

がんは他の病気に比べれば 緩やかに弱って死んでいく病気です。
よほど末期で発見されるのでなければ 余命は数か月とか1年とかあるわけです。
ということは
自分が余命宣告をちゃんと受け止める 強い心さえ持てれば 死への準備がちゃんとできるのです。
これは死に方としては 幸せな死に方なのではないでしょうか。

大切な人たちに ちゃんと別れが伝えられるし
今までの人生を振り返って 幸せだった日々を感謝することもできるし
体力さえ許せば やり残したことをやる時間もあるだろうし

死期がわかることで だらだらとした日常を続けるのではなく
逆に今生きている時間が充実して 生が輝くということもあると思うんです。

それでも時間は足りないんでしょうけど…

金子哲雄さんの親友の テレンス・リーさんによると 死の数日前に金子さんは
「死ぬのはもう怖くない」と語っていたそうです。
テレンス・リーさんはその理由を こう推し量っています。
「彼なりの生き方を貫いて 死んだ後を含め全部準備を整えたからじゃないですか。大した男だと思いますよ、あの歳で。よく頑張りました」
私も見習いたいです。


◇近々、Nさんに会って、お話しでもしたいなあって思っている。