歌人・六川のウエカドさんと、俳人・豊里のサトコさん

歌人・ウエカドさん
 昨日の朝、和歌山のヤマギシの村・六川実顕地のウエカドさんから「今朝の朝日新聞歌壇欄を見てください」とメールをいただく。
 ウエカドさんの短歌は、度々、朝日新聞の歌壇俳壇欄に入選して掲載される。今回は永田和宏選の第三首入選である。
   伊達直人公田耕一そのひとを知りたくもあり知りたくもなし
 選者の評は「伊達直人の歌が多かったが、公田耕一と組み合わせてその実体を知りたい思いの複雑な揺れをうまく表現」と書いてある。
 「伊達直人」は、児童施設などにランドセルのプレゼントで話題になっているタイガーマスク。「公田耕一」は、何かで読んだことがあるが確か正体不明のルンペン歌人として、度々、朝日歌壇に入選して話題になった人物。
 確かに私の中にも「どんな人物だろう」と知りたい気持ちはあるが、未知の人物として置いておきたい気持ちもある。興味津々の、しかし知ってしまうことで失う思い、そんな些細な気持ちを短歌として詠むあたりがウエカドさんの凄いところだ。

俳人・サトコさん
 日曜日に三重のヤマギシの村・豊里実顕地に出張した時に、サトコさんから一冊の句集をプレゼントされた。上品な製本の仕上がりで「一椀」と題がついている。
 いただいたばかりで、まだ良く読んではいない。しかし、最初のところで俳人・山上樹実雄氏が「〝一椀〟の書名は定めしこの一句から取られたのであろう」と選んで紹介しているのは、
   一椀の飯を汚して目刺食ぶ
 何ともイメージが湧く俳句だ。目刺は美味しい。それも目刺はやっぱり白いご飯で食べるのが最高だ。しかし、食べながら白いご飯に目刺を載せると焼き焦げが付く時、何とも言えぬ恥じらいというか、椀に盛られたご飯に「ごめんなさい」のようなものを感じるのだ。そのイメージが一気に湧いてきて、この句が好きになってしまった。
 サトコさんも、こんな些細な心の揺れを捉えて句を詠むのだから凄いと勝手に思ってしまう。
 蛇足ながら、昔々、若かりし頃、ある女性と食事をした時に彼女が注文したのが「イカスミスパゲッティ」。それをホークとスプーンで口に運び食べるごとに、彼女の白い歯がお歯黒のように変化していくのを、複雑な不思議な気持ちで見ていた自分を思い出してしまった。それを俳句に詠む力量は僕にはなかった。