5月最後の日のおしゃべり

 今日の東京は、昨日までの暑さはそれほど感じないが、しかし今日も夏のような陽気の一日だった。
 早いもので、5月のカレンダーも今日で終わる。


◇会の新聞「けんさん」6月号
 新聞の紙面づくりをしてくれているイワタさんが、4日の日曜日から一週間不在になるというので、急きょ、土曜日までに6月号を完成させるスケジュールになってしまった。
 月曜日から慌ただしく、記事を集めている編集委員にも無理を言って、編集に取りかかっている。
 なんとか、連載記事の1つと、写真1枚がまだ未到着だが、予定していた原稿と写真はほぼ揃って、夕方、イワタさんにデータを送付。
 明日と明後日で、紙面を作って、土曜日には校正を終えて完成させたいと思っている。
 そんなことで、月曜日から根を詰めてパソコンとにらめっこで、少々、疲れ気味。



◇週刊「ダイヤモンド」
 帰宅時にホッと一息ついて、気分転換に書店に寄ったら、雑誌コーナーの週刊「ダイヤモンド」が強烈に目に飛び込んできた。
         
 巨額損失、決算延期、債務超過上場廃止の心配などなどで、騒がれている東芝の特集だ。
 僕は、ヤマギシで生活する前は、川崎市でこの東芝に勤務していた。
 それも、いま、債務超過対策として売却が話題となっている半導体部門で20数年仕事をしていた。
 「三流の東芝 一流の半導体」とは、僕にとって強烈すぎるタイトルだ。
         
 どうせ暗い内容だろうと思いながらも、ページをめくったら、半導体の創成期に僕が職場配属になったときに、大変お世話になった当時の課長Kさん(その後、半導体の成長とともに副社長までなられた)の顔写真が、「半導体を60年見続けた男」として載っているし、やっぱり読んでおこうと購入。
 帰宅時の電車の中で、ほぼ、ザッと読んでしまったが、ただただ残念という感情が増幅。
 先日も、昔一緒に仕事をした先輩や同僚たちから声がかかって食事をしたが、「お前がいた頃が、一番いい時代だったよ。」と呟いていた。
 かれこれ、30年前の東芝である。
 徹夜をして資料を作って、本社の常務会に提案して予算を確保して、半導体製造工場建設プロジェクトの一員として飛び回っていた頃のことだ。
 そんな中で、仕事の仕方、人との付き合い方も数多く学んだ。
 そんな意味では、東芝は僕の人間形成に大きく影響した「ふるさと」でもある。
 帰宅して、ネットの「ダイヤモンド・オンライン」を開いたら、Kさんのインタビュー記事があったので、それも読んだ。
 Kさんの次のような心境が、痛いほど分かる。
 「私自身は、半導体の技術者として東芝半導体を経営して、60年以上にわたって半導体に携わってきました。半導体をライフワークにしている立場として、東芝の名前が付かなくても、東芝の発明した東芝の技術として、生き残っていってもらいたいと思います。
 でも、正直に言えば、東芝の名前がなくなった半導体の会社を故郷だと思えるかというと、ちょっと悩むのは確かです。複雑な心境ですよ。」