今日も新聞を見てのおしゃべり

 今日も朝7時から1時間ほど、ファーム町田店の陳列など開店準備のお手伝いをして案内所に行く。
 案内所に9時半過ぎに着いて、今日は事務的な仕事を一日する。
 来客が午後に1人。八丈島に在住の男性だった。
 

梅原猛の「思うままに」で思ったこと
 東京新聞の夕刊に、哲学者の梅原猛が執筆している「思うままに」というコーナーがある。
        
 13日の夕刊では、『中日と阪神の補強─新天地での奮発を望む』と題して、「郷土愛の強い私は中日びいきであり、そして関西に住む野球ファンとして阪神に声援を送らざるを得ない。」と書いている。
 「へぇ〜、梅原猛は、中日ファンなんだ。」と思いながら読んだら、阪神が補強した糸井選手の事を書き、中日ではアレックス・ゲレーロ選手のことを書いていた。
 そのことよりも僕は、前段で述べていた阪神ファンに対する次のような分析に興味を持った。
「不思議なことには、阪神がどんなに低迷しても観客動員数は減ることがなく、かえって増えるほどである。そのような現象は、大阪がもつ根深い怨恨が継承されたものではないかと私は思う。阪神が本拠とする大阪という都市は、徳川氏は本拠とした江戸すなわち東京に対する深いルサンチマンをもっていると思われる。豊臣氏は徳川氏によって見るも無惨に滅ぼされてしまった。その恨みが、日本第一の都市、東京に対する大阪の恨みとして遺伝されているのではなかろうか。」
 そして中日に対しては
「しかし徳川御三家の一つである尾張徳川家が君臨していた名古屋という立派な都市には、そのような潜在的な恨みはまったくないのである。」と書いている。

 昨年、大河ドラマに合わせて『真田太平記』を読んで、知略を駆使した家康の豊臣成敗は遺恨を残すほどだというのは納得できるが、それを哲学用語の「ルサンチマン」( ニーチェの用語。被支配者あるいは弱者が、支配者や強者への憎悪やねたみを内心にため込んでいること)で分析し、それが大阪人に遺伝しているとするあたりが、梅原猛らしいと思った。(読みながらルサンチマンってどんな意味だろうと僕は調べてしまった)
 そして、梅原が「しかし徳川御三家・・・」と言っている尾張徳川家は、明治維新では佐幕から倒幕に転じて官軍につき、維新後も侯爵となり、高い政治的・経済的地位を維持したのだから、確かに、東京(明治新政府)に対して「潜在的な恨み」は発生せず、「まったくない」のは当然であると僕は納得した。
 

◇知人から送られた冊子にお礼の葉書を書く
 昨日、送られてきた74頁の自費出版の小冊子。
 先ほど、早速、読んでみた。
        
 エッセイだったり、小話だったり、小自伝だったり、短編だったり・・。
 面白かった。
 早速、引き出しから手持ちの絵葉書を探して、お礼と感想を書いた。