文藝春秋掲載の芥川賞受賞作『コンビニ人間』を読む

 昨日、長いこと仕事上でお付き合いし、お世話になっているコスギさんから「今号は芥川賞受賞作が載ってますよ。」と、月刊誌・文藝春秋9月号をいただいた。
          
 早速、昨日の帰宅時の電車から読み出して、今日の朝の電車と帰宅時の電車で読み終わった。
 最近の芥川賞受賞作としては、僕にはめずらしく、一気に読めた作品だった。
          

◇内容は、コンビニで18年間働く36歳の女性が主人公。
 子どもの頃から正直に反応し行動すると「変わった子」としてみられて育ち、今に至っても、就職経験もなし、恋愛経験もなしの独身女性の彼女。
 「まだアルバイトなの?」「結婚はいつ?」と、家族や友人も含めた社会の「普通」を求める人達から問われ続け、ちょっと変わり者で変人扱いの彼女が、コンビニという世界の中で、自分の存在感を感じて生きている物語だ。
◇著者はその世界をこのように書いている。
 『朝という時間が、この小さな光の箱の中で、正常に動いているのを感じる。指紋がないように磨かれたカラスの外では、忙しく歩く人たちの姿が見える。一日の始まり。世界が目を覚まし、世の中の歯車が回転し始める時間。その歯車の一つになって廻り続けている自分。私は世界の部品になって、この「朝」という時間の中で回転し続ける。』
 つまり、マニュアル通りのコンビニのアルバイト社員になりきることで、普通でない、変わり者の彼女は社会との繋がりを得ているのだ。
◇そして、家族や友人が求める普通の女性、普通の人間になろうとするが、最後は結局、「普通の人間として」でなく「いらっしゃいませ!」とマニュアル通りを繰り返し生きる「コンビニ人間」の方こそが、「人間としていびつでも、たとえ食べて行けなくのたれ死んでも」自分の居場所として相応しい生き方だと納得するのだ。

 自分の存在意義や居場所。よくよく考えてみつと、多かれ少なかれ、誰でもが意識しながら生きているテーマだと思う。
 例えば、ある会社や組織にいて、そこのルールや常識を身につけて、無意識のまま組織人を演じている自分。その中で生きているからこその、日々の安心感と存在感。それってホンモノ?
 さらに著者は、
 普通とは何だろうか。常識とは何だろうか。人並みとは何だろうか。
 あなたの持っている考え、あなたの行動は、本当にあなたのモノか?
 そんな「あなたって何?」と、見つめれば見つめるほど、触れられたくないというか、触れるのが怖いほどに、重い重いテーマを、ユーモアさえ感じさせる物語の構成と描きで、読者に問いかけ続ける作品だった。