哲学者の内山節さん著『半市場経済』・読後(1)

 僕の好きな哲学者・内山節さんの新刊『半市場経済 ─成長だけでない「共創社会」の時代─ 』を読んだ。
        

 この新書は、内山さんと共同研究している3人のメンバーによって執筆されているのだが、僕は、内山さんが執筆した第一章の『 経済とは何だったのか。あるいは、労働の意味を問いなおす ─経済・コミュニティ・社会─ 』と、杉原学氏が執筆した第三章の『 存在感のある時間を求めて ─「時間による支配」から「時間の創造」へ─ 』が、特に読み応えのある内容だった。


 「半市場経済」の意味は、表紙帯に次の様に書かれている。
─ 市場に依存し利益の最大化をめざすのではなく、また市場をすべて否定するのでもなく、生活者としての感性・感覚を事業活動にあてはめ、よりよき働き方やよりよき社会をつくろうとする目的をもって営む経済のこと。「志」と「価値観」を共有することで、充足感と多幸感をもたらす新たな社会のかたちの創造でもある。─


◇今回は、
  第一章 経済とは何だったのか。あるいは、労働の意味を問いなおす
          ─ 経済・コミュニティ・社会 ─


  ここで、内山さんから僕が受け取ったことを記してみたいと思う。


◇内山さんは、先ず幸福について
 「幸せとは何かと問われると、私たちはそれが定義づけられないことに気づく。・・・何に幸せを感じるかはさまざまなのである。」「ところが、幸せを感じる条件は定義づけることができるのである。それは充足感のある居場所があるということだ。」「この居場所を〝場〟といってもかまわない。どう呼ぼうともそれは関係がつくりだすもので・・・、私たちは関係のなかで、ときには幸せを、ときには虚しさを感じているということになる。」と、他との関係性の中での自分の存在感が、幸福を感じる重要なファクターであると言っている。
 その上で、社会の中の「それぞれのシステムが独自の論理で展開し、社会全体との結びつきを希薄化させ・・・経済は市場経済に従うかたちで独自の論理で展開する。」と述べ、その一例として、企業の利益の最大化のために、工場の海外移転や非正規雇用者の増大などをあげ「社会全体としてはストレスの高い社会」になってしまったこと、「社会全体が求めているものと企業の論理が一致しないのである。同じようなことが国家や社会でも発生するし、教育システムや文化、芸能、信仰などでも生まれていく。それぞれのシステムが独自の論理で動く以上、全体との調和は希薄化せざるを得ないのである。それを社会の喪失といってもかまわない。」と、現代社会の〝関係性の希薄化がもたらす問題〟を分析する。


◇そして章の最後に
 「これまでの社会は、ひたすら貨幣量によって計算できるような価値の増大を目指していく社会であった。だが、この社会が壁に突き当たっているとするなら、私たちは何を追い求めるべきなのだろうか。私はそれは、さまざまな価値が創造されていく社会なのではないかと思っている。自然との関係をつくりだす価値も、障がい者との関係を生みだす価値もあってもいい。コミュニティから生みだされていく価値や、さまざまな経済活動の関係がつくりだす価値もあっていい。大事なことは、たえず新しい価値が生まれていく社会である。貨幣量で計算される価値だけが価値として承認される薄べったい社会でなく、さまざまな価値がたえず生まれ、それらが力を発揮できるような奥行きのある社会づくりがいまの課題だろう。・・・たえず価値が共創されていく社会である。・・・価値創造とは関係のなかでつくられていくものである以上、それは共創の営みのなかから生まれてくるものなのである。」と、内山さんが前著『新・幸福論』の中でもいっていた〝関係とともに生きるという存在のあり方〟自然も含めた他者との関係のなかで生きる〝関係的存在としての人間のとらえ直し〟に基づく社会づくりを論じている。