◇昨夜、夜中にペルセルス座流星群をみようと起き出して、空を眺めたが残念ながら雲で空いっぱい覆われていた。
そして、今日の東京の朝は雨。
いつもの時間の通勤電車も空いている。その代わり、大きなキャリアバックを引いている若者や、リックを背負った子供連れの家族が目につく。やっぱり、お盆の時期だ。
夕方からは晴れてきた。今夜は流星群を見ることができるだろうか。ちょっと期待している。
◇〝諦め〟癖
東野圭吾のガリレオシリーズの最新文庫『禁断の魔術』の中で、天才物理学者・湯川学が、高校の後輩に次の様な言葉を言って励ます。
「諦めるな。過去に人間が考えついたことを、若い君たちが理解できないなんてことはない。一度諦めたら、諦め癖がつく。解ける問題まで解けなくなるぞ」
僕は、この言葉を読んだとき、なぜか含蓄のある言葉だなあ〜と思った。
◇僕らの育った過程を振り返っても、大人のこのような〝励ましの心と言葉〟で育てられたのではなかったか。
僕は「諦め癖がつく」とは言われたことがなかったが、「頑張れ」「諦めるな」「君だったら出来る」などなど、会社に入ってからも、上司や先輩のそんな言葉がいつも溢れていた。
しかし、今は「ただ頑張れだけでは、若者は動きませんよ」「精神論だけで若者はついてきませんよ」そんな声が聞こえる。
でも、最近、若者と接していて、時々「どうして彼は、こうも簡単に投げ出すのだろう」「ちょっと面倒そうなことは、自分には関係ないこととして、振ってしまうのだろう」などと感じてしまうことが多々ある。
「おい、それはお前のやることだろう」「お前がやらないで、どうする」「若いんだから、やってみろよ」「頑張れよ」
そん言葉を投げかけたい気持ちがあるが、年寄りの空説教と思われて嫌われるのがオチだと、投げかけを遠慮する自分がいる。
◇しかし、自分には確かに、そんな大人の励ましで育った記憶がある。
「時代が変わったんだよ」と言ってしまえば、それまでだが、そこにも、その言葉に漂う人生への諦め癖を感じてしまう。
本当に次代を担う若者を育てよう、この子の隠れた才能を引き出そうと思ったら、大人として、何かやることがあるのではないか。
少なくとも、〝諦め癖〟や〝振り癖〟がついた大人になって欲しくないと、僕は思う。
それには、どんな声かけがあるのだろうか・・・。
東野圭吾の小説を読みながら、そんなことを考えてしまった。