認知症についてのおしゃべり

ツツジがきれいだ
 僕が毎朝毎晩、乗り降りしているバス通り。歩道脇や中央分離帯に植えられたツツジがきれいに咲いていて心和む。
     


認知症は「新しい旅」の始まり・新刊『旅のことば』
 今朝、妻から「まだ町田には売ってないのよ。都内ならあると思うから買ってきて!」と頼まれたのが『旅のことば 認知症とともによりよく生きるためのヒント』という本。
 最近の妻は、老人介護から認知症を患った人の支援にシフトをおいて、「認知症になっても、安心して暮らせる街をつくろう」と、認知症の人や家族の寄り場・繋がり場をつくる地域活動を、行政の支援も受けながら介護関係の仲間達としているのだ。
 この本を、そんな場で、みんなで輪読しながら、語り合って、活用するのだという。
 帰宅時に高田馬場駅前の書店に寄って、入り口の検索端末で調べたら、在庫ありと出たが収納棚は空白だ。
 不思議に思って店員に再度調べてもらったら「今日の入荷です」とのこと。
 何と5月20日が発行日のホヤホヤの新刊だった。
       
 帰宅の電車の中でページをめくってみたら、
 認知症を、人生における「新しい旅」と位置づけて、本人や家族、それを支援している専門家が実践しようとしている「生きるための工夫」のハウツー本的書籍だった。
 大きな社会問題になりつつある「認知症」。
 本の「まえがき」が、ネット上に「内容紹介」としてアップされていたので、この社会問題を認識する意味からも、ここに転載し、この本を紹介したい。
 ─「まえがき」─
 認知症は、誰にとっても身近な事柄です。日本の65歳以上の方のうち、軽度の認知障害をもつ方までを含めれば、その数は800万人を越えるといわれています。
これは65歳以上の約4人に1人、日本人全体でみると約15人に1人という計算になります。どこかの町の住宅地を歩けば、目に入る家々の相当数に認知症の方や認知症にかかわる家族がいます。認知症であるということは、すでにごく普通のことなのです。

 そのような社会にあって、認知症であっても認知症とともによりよく生きている人、あるいは生きようとしている人たちがいることは、注目すべきことです。その人たちは、認知症であるからといって「すべてをあきらめなくてはならない」と考えてはいません。認知症の負の部分だけにとらわれていないのです。

 少し視点を変えてみると、これから大きく生活を変えるからこそ実現できる「新しい旅」がはじまるのだと考えることもできます。家族で一緒にいる時間が増えることで、これまで以上にお互いのことが理解し合えるかもしれません。これから過ごす時間は、何かを失っていく時間ではなく、これまで得られなかったものを得て、これまでなかったものをつくっていく時間であると捉えることができるのです。そして、そのかけがえのない時間をどのように生きるのかは、自分たち次第です。(中略)

 「認知症とともによりよく生きる」ことを、ひとつの「新しい旅」として捉え、その工夫をまとめたことばを、私たちは「旅のことば」と呼ぶことにしました。 本書で紹介する「旅のことば」、つまり「認知症とともによりよく生きる工夫」を、ぜひみなさんの生活でも活かしていただければと思います。


◇もう一つ、イメージを改める動き
 この本を見ていたら、先週中頃読んだ新聞記事を思い出した。
 確か、言葉というか用語を見直す取り組みの記事だったと思って、古新聞収納袋をひっくり返したら、その新聞が出てきた。
        
 タイトルは、
 「徘徊」と呼ばないで 「認知症の人、目的なく歩き回ってない」
 「痴呆症」が「認知症」と呼び名が変わってほぼ10年が経つという。
 それ以外でも、現在使われているそれぞれの用語に染みついたイメージを払拭しようと、認知症関連用語の言い換えを模索する介護関係者がいるという紹介だ。
 認知症の人の徘徊(はいかい)は「ひとり歩き」、介護施設の利用者は「メンバー」へ。
 名古屋市認知症対応ディサービス施設や、町田市の通所介護事業所の職員の取り組みだ。
 職員の「認知症の人は目的なく歩き回っているのではなく、その人なりの理由があるんです」という温かい眼差しと、心温かい関係をつくろうとする努力が紹介されている。
 僕らも、この「認知症」が大きな社会問題になりつつある今、改めなければならない認識のようだ。


◇日中は、今日も〝真夏日〟だった
 午後2時ごろ、高田馬場駅前を通ったら、歩いている人も「この暑さ、勘弁してよ」という感じ。
 この写真から、それが感じられるだろうか。