スマホ片手にネット社会を考えてしまう

 電車の中で読む本がないので、スマホでYAHOOニュースを見ていたら、
 ─ 「圏外を買う」時代へ デジタル依存から解放される方法とは ─
 このようなタイトルの記事が目に止まった。
 取り上げられていたのは、ネットがもたらすストレスからの解放を書いた『デジタルデトックスのすすめ』の米田智彦氏。
    
◇記事の中で、米田氏の次のような話を紹介していた。
 ─ こんな話がある。近年、地方から都市圏の大学に進学する際、これまでの自分のイメージを一新させようと努力しても、SNSを通じて過去を調べられ“大学デビュー”できない、という。
 合コンなど、男女が新しく出会う場が開催されるときも、事前にSNSでプロフィールを閲覧することが一般的になりつつあるそうだ。もはや、リアルでつながる前に、つながってしまう時代になってきている。 ─
        
◇そうかぁ〜、「今までの過去を忘れて、心機一転、出直そう」と再スタートすることが、便利を追求したネット社会になって、それを難しくなってしまったという皮肉な現象が出てしまったのかと、いろいろと考えてしまった。
 そう言えば、昔は「10年一昔」と言っていたが、情報の過ぎ去る時間からみたら「1年が一昔」か「1ヵ月が一昔」にさえ感じるようになってしまった。
 しかし反面、ネット上では「10年前が今」である錯覚が起こる。
 10年前にネットにアップされた出来事や、匿名をいいことにネットに書かれた信憑性が定かでない記事が、検索すると一瞬のうちに表示されるので、それがあたかも、今のことのような錯覚をしながら読んで認識してしまう。
 先日も、某雑誌にヤマギシの農産物広告を出そうとしたら、編集長が掲載に難色を示しているという。
 よくよく聞いてみると、それは10数年前にネットに書かれたことを根拠にした難色だった。
 それで、丁寧に、その当時の状況と、その後の経過を、資料を見せながら説明したら「そんな昔の事だったんですか」と、先ず驚いていた。
 そんな誤解が、今のネット社会では当たり前にあるのである。
 遠い過去が、ネット上では、あたかも〝現在〟と思ってしまうように表示され、その〝過去〟から抜けきることが出来ないのである。
     
◇「検索」すれば、なんでも調べられるという便利さ、それがもつ負の部分。
 米田氏が書いているように、心機一転、新たな人間関係を求めて「合コン」の場に行っても、そこにいる人達は、過去の自分を知っている。なんとも、やるせないではないか。
 あるいは、絶えずスマホを手にして確認していないと不安になってしまう、知らず知らずにそれが長時間となり、生活を侵しているネット依存。
 大なり小なり、そんな〝つながり〟そのものがストレスになる問題が、このネット社会にはあると言うことだ。
     
◇さらに記事には、次のように書かれていた。
 ─「どうすれば、“つながり”から解放されるか?」
 米田氏は「意識的につながらない状況を作り出すことが必要」だという。アメリカには、あえて電波の届かない『圏外のリゾートホテル』があるという。海外の自動車メーカーでは、24時間メール送信を禁止する日などを設ける取り組みもある。こういった取り組みは、少しずつ増えてきており「圏外を買う時代になってくるかもしれない。メールの送信禁止などは日本の企業もそろそろ取り入れるかも」(米田氏)と予想する。─
         
◇そこまで読んで、またまた僕は考えてしまった。
 いま、僕たちヤマギシでやっている「特講」は、携帯やスマホを期間中は使用を差し控えてもらっている。
 日常からちょっと離れて、常識や囚われからも離れて、本質的なものを探ろう。その中で、本来の自分を再認識しようという試みには、日常的な情報手段はじゃまになるからだ。
 もしかして、長年、特講という講習会でやってきた「日常から離れる」。その一つの方法としての「携帯の使用を差し控える」この事が、とても重要なこととして、再認識される時代が訪れようとしているのかも知れない。
 こんな一面にも、特講の真価が浮き彫りになる時代到来なのかも知れない。
 そんな事を、僕は電車の中でスマホを片手に・・・、考えてしまった。