我が家・多摩実顕地からも「石巻・炊き出し隊」に送り出す

 11日から被災地・石巻三重県ヤマギシの村・春日山実顕地が主体となってやっている「炊き出し」に、今日から多摩実顕地からも3名(イヌカイ親子とカクコさん)を送り出した。
 
 3人は今朝3時に東北に向かって車で出発。天気予報によると、現地はまた寒さが戻ったようで大変だろうが、みんなの「何かやりたい」という気持ちを持って、みんなの代表で出発した。
 そんなことで、イヌカイさんが毎朝やっていた「お風呂掃除」を、今日から3日間は私が案内所に出勤する前にすることにした。送り出した人の持ち場を、それぞれがカバーし合って暮らしを成り立たせる。カクコさんの持ち場も誰かがカバーしているはずだ。
 
 4、5日前の新聞に「震災ニッポン特派員の目」という記事があった。
 
 その中にインドネシアの新聞社特派員(女性)が、気仙沼の避難所を取材した時の事が書かれていた。
 市内の水産加工場で働いていて被災したインドネシア女性3人を、インドネシア大使館員が保護して別の場所に移そうとしたら、3人は「避難所の人達と別れるのが寂しい」と泣き出したという。家族を失ったり、家を流されたりしている人々が、異国の彼女たちにまで「家族の一員」として接している日本人の心の深さに感銘したという記事だ。
 今回の事で、日本人の国民性は素晴らしいとか、非常事態でも冷静だとか、協調性が高いとか、原発事故現場での献身的な仕事ぶりなどに、諸外国の人々は驚いているという記事をよく目にする。
 しかし、この様な事は「日本人だから」と、特別、賞賛される程のものではないようにも僕には感じてしまうのだ。
 みんな、みんな、どこの国の人も、日本での出来事なのに、今回の震災と原発事故による被災を心配してくれている。16日(土)夜に放映していた「白熱教室」のハーバード大学マイケル・サンデル教授の「マイケル・サンデル 究極の選択 大震災特別講義」でも、貧困や民族紛争に苦しんでいる発展途上国の人々までもが「日本のために、何かできないか」と行動している事が紹介されていた。
 それは、日本人の私達が、被災地に「炊き出しに行きたい」という気持ちと何ら変わりないものだ。
 人間本来の気持ちは、非日常であればあるほど(生命存続の危機を感じれば感じるほど、かも知れない)、日常の中では当然としている私的中心指向のベールを突き破り、共存指向の人間本来の姿として現れる。「日本人だから・・」とかでなく、人間は本来そうなのではないか。