仙台市若林区の会員宅に食糧物資を届ける

 26日のブログにも書いたように、第1便は、緊急ということもあって、牛乳、卵 、野菜を中心に、三重のヤマギシの村・里実顕地から直接、仙台までトラックを出してもらったが、今回の第2便は、加工品のプリンや豆腐などを27日に豊里から埼玉のヤマギシの村・岡部実顕地まで、供給所生産物便で運んでもらい、そこからは関東メンバーで仙台に届けた。

 27日、夕方に三重から岡部実顕地に着いた荷物をハイエースに積んで、その日は岡部実顕地に宿泊。
 28日早朝、埼玉北供給所の高木さん、関東お父さん研の会員・本橋さん、僕の3人で、岡部を朝4時に出発。
 何と、その早い時間なのに岡部実顕地の娘・イクミちゃんは、僕たちのために弁当を作っておいてくれた。
 イクミちゃんのメモには、−−今日のメニューは、親子キャベツ・アスパラの天ぷら・ひじきの煮物・チーズちくわ・金山寺味噌です。弁当づくりも、私のやれる事の1つなんだなぁと、今日2時半に起きてきて作ってみて実感しました。−−と書かれていた。感激!

 仙台近くのSAに7時半頃着。車の燃料が少なくなってきたのでスタントに並ぶ。約30台ほど並んで入れてくれたのは3000円分。僕たちも、現地に着いたら何が待っているか分からないからと、イクミちゃん作の弁当で腹ごしらえ。

 仙台市若林区には8:30着。
 今回は、会員・Nさん宅の庭に近所の人達が10時から集まってくることになっていて、運んだ物資を庭先に並べて、西田さん家族と近所の方と、僕達も手伝って、10時から「豆腐1丁、プリン2個、甘夏2個・・・」というような感じで地域の人達に手渡し。


 午後、若林区津波の被災地に行ってみる。 
TV映像では見ていたが、津波の爪痕は言葉が出ないほどすさまじい。ここに、どんな風景が広がっていたのだろうかと想像もできないほどの被害。ひと抱えもある防風林の松の木が無数に押し流されている。向こうの海が見えないくらい茂っていたらしいが、いまは数本立っているだけ。



 車が何台も傷つき転倒したり横たわっている。大きな「×」印は被害者がいた車だと言う。何月何日確認と遺体収容メモのようなものが貼ってある。






 こんな事があっていいのかと思うのと、これをどう復興させるのだろうかと呆然となる。
 毎日、牛乳を配達していたという男性は「もう、何もかも無くなったよ。ここだけじゃないもんねぇ。北は青森から南はいわきまで、みんな無くなったよ」と。