「計画停電」と「交通の混乱」の中で思う

 15日火曜日、心配していた小田急線の運行も、朝の時間帯は準急と各駅停車が休日並みで動いていた。
 いつもは町田駅から新宿駅までは35分のところを、今日は70分かかった。それも休日並みの間隔でしか電車が来ないので、超満員だった。
 駅に止まるたびにドッと乗客がなだれ込む。それでも乗れない人が何人もいる。
 そんな中で、日頃、自分がいかに「当たり前」と思って行動しているかを痛感する。
・電車は毎日、定刻で動いていて当たり前。5分も待てば電車は来ると思っている。
・予定の時間に到着して当たり前。車掌が車内放送で「定刻に2分遅れて申しわけありません」というのを、たった2分の遅れなのに、何の違和感もなく聞いている。
・何の心配もしないで案内所に通勤できるのが当たり前。
・駅のエスカレータはいつも動いているのが当たり前。
などなど、いつもは無意識に「当たり前」を盾にして行動している。
 
 (自動券売機も半数は節電対策で止まっている)
 
 昨日は終日運休だった小田急線。今日は朝と夕方から夜にかけては町田までの電車があるが、日中は途中まで。そんな事も初めての経験だ。いつでも、どんな時間帯でも帰宅できると思っている。

 
 (写真は15日夕刊)

 ますます深刻になっている原発。次々と予想もしていなかった事態が発生する。非常事態の時に冷水ポンプを動かすための自家発電が、地震には遭遇しても、津波の被害を受けるとは想定していなかったと聞く。自家発電は非常事態の時には有効に使えるものと思って、それを「当たり前」にして構築した安全対策。2重3重の安全対策が、そんな「当たり前」が崩れてしまうと何の意味もなくなってしまう。

 夜、我が家・多摩実顕地エリアは「計画停電」の時間帯。しかし、帰宅してみると電気は平常通り。今日も何とか停電は免れたが、明日はどうだろうか。
 便利さに浸っていた私たちの生活。それを「当たり前」としていた私たち。今、そんな生活形態の転換期に遭遇しているのだと思う。