命ある限り「今を生き」そして「旅立った」イナコシさん

 三重のヤマギシの村・内部川実顕地のイナコシさんは、一昨年末に「来年3月の桜の花が見れるかどうか」と、末期膵臓癌を医師から告げられ、その事実を受け入れながら、前向きに、明るく「今を生きる」を実践していた。
 彼とは、ヤマギシを知り、ヤマギシに参画して村に来たのも同じ様な時期だった。以降、このヤマギシの考え方で生きる同志相棒だった。
 元旦に多摩実顕地のみんなに届いた年賀状には
 −− とにかく笑おう。笑ってみよう。笑顔ほころぶ1年になりますように。まだまだどっこい生きている。命ある今を楽しんでいます。−− と書かれていた。
 その彼が、先週水曜日に「この寒さで体力も消耗して病院に入院した」と連絡があり、今週の月曜日には帰らぬ人になったと訃報の知らせをもらった。享年65歳。医師の言葉よりは1年近くも長生きしたが、心から話し合える同志をなくしたことは残念である。しかし今は、これが彼の運命として「ご苦労さま」と送り出すことを受け入れるしかない。
 彼は、熱い心の持ち主だった。生き方や、この運動の話を始めると熱く語った。そんな熱い彼を私は好きだった。
 25日火曜日の昨夜、多摩実顕地から6名が車で通夜に三重に向かった。午後6時に内部川実顕地に到着。大勢集まっていた。彼は会員研鑚学校や高度研鑽会の係をしていたので、関西や中部の会員も来ていた。
 通夜の後の「偲ぶ会」は研鑽室が3重の輪になるほどだった。彼のエピソードや彼の人柄が出席者から数多く出されて、私の知らなかった彼の一面をあらためて知った。そして目頭が熱くなる「偲ぶ会」だった。
 「偲ぶ会」が9時に終わって、東京に向けて帰途につき、多摩実顕地着は深夜の2時半だったが、通夜に参加して、彼に、あらためて「生き方の原点」に立たせてもらった様な気持だった。彼からのバトンをしっかり受け止めて「今を生きたい」と思う。