余命を宣告されたイナコシさんが話してくれた事

 昨日はイナコシさんの告別式。大勢の人でお見送りしたと連絡をもらった。イナコシさんについて、今日も書いてみたいと思う。

 昨年、豊里実顕地に研鑽会で出張した折、時間を見つけて何回か内部川実顕地に寄って、モンゴル特講の報告やイナコシさんの心境を聞く機会があった。
 彼は、癌になって3つの事に気付いて、それがうれしかったと語ってくれた。(この内容は会の機関紙「けんさん」でも、編集メンバーのエイコさんが取材して紹介している)

 1つは息子の事。入院してすぐに、東京の長男が飛んできて医者から話を聞き、あと3ヵ月との宣告を、本人に告げるべきかどうかを母親と話しあった時「お父さんは生き方でヤマギシに参画しているのだから、一時落ち込んだとしても、一週間で必ず復帰する。今、話して今後どのようにして行くかを話し合った方が絶対いい」と息子が決断したという事を聞いた。それを聞いて、息子は親の生き方をきちんと見て育っている。小さい時は楽園村に参加するのも嫌だと言っていたし、参画の時も無理に村に連れて来たけれど、それは間違いなかったと思えた。

 2つ目は、全人幸福を願って参画し20年近くやってきたけれど、自分は実顕地で日々ただ暮らしていただけで、いたずらに日を過ごし何も出来てこなかったのではと思っていた。医者と一緒にCT画像を見て癌を知らされ、その後、息子に余命3ヵ月を告知された時「ああ、そうか」と聞けた。何も出来ていないと思っていたけど「おっと出来ているじゃん。自分がやりたいと思っていた放す生き方が…」頭だけでなく、死という究極の場面で実際に事実を受け止める事ができたと、実顕地で生活していた事実の重みに気付いた。その事に気付いて周りを見回したら「自分がそうなっているという事は、みんなもそうなっている。日常のいろいろある事はゴミみたいなたわいもない事で、人はそうなっている。そこが見えないだけ。そういう一人ひとりの中で、自分はやらせてもらっている」とうれしかった。

 3つ目は、自分が癌になって命の期限を知ったけど、何の心配も出てこない事が凄いことだと思った。これからの妻や子供達の生活の事、自分の治療の金銭的な事、そして仕事の事も、周りのみんなに任せることが出来て、自分は何の心配もする必要がない。こんな病人がいるだろうか。

 イナコシさんは、この話を私に2度も話してくれた。きっと見舞いに来る人みんなに話していたのだろう。中部の男研(月一回の合宿でイナコシさんも立ち上げメンバー)の研鑽会でも熱く語ったと聞いた。
 イナコシさんが、限りある命の期限を事実として受け入れて、自分の生き方が間違いでなかったと実感した事として、また、私達はそんな中で生きているという事で、あらためて思い返して記載しておこう。