文庫・井沢元彦著 『 友情無限 』 を読む

 この小説は、2011年の辛亥革命百周年の年に単行本で刊行され、今回、先月末に文庫化された作品で、1911年に清朝打倒の革命を起こした中心的人物・孫文を、物心両面で支援した日本人・梅屋庄吉の生涯を描いた物語である。
        
 著者が「あとがき」で書いている。
─これは「小説」であって「史伝」ではありません。過去のことはすべて史料に残っているわけでなく、「史伝」なら不明なことは不明と書くしかありません。しかし、小説ならその壁を超えることができます。─
 歴史上の実在の人物に、歴史小説の中で触れる楽しみは、この「小説ならその壁を越えることができる」という、著者の豊かなイマジネーションによるフィクションで、その人物を、どれだけ「何を志して、どう生きたか」と、史実と史実を繋ぎ合わせながら、その人物を蘇らせてくれることにあると僕は思っている。 
 そんな意味からも、この『 友情無限 』は、僕に十分な満足と感動を与えてくれたと言っていいだろう。

 では、梅屋庄吉とはどんな人物だったのか。
 【20世紀日本人名事典の解説】によると、この小説の主人公の『梅屋庄吉』とは、
「長崎に生まれ、遠縁の貿易商の養子となる。海外に事業を起こし、のち香港で写真館・梅屋照相館を開業。ここで革命家の孫文と親交を結ぶ。シンガポールで映画を知り、明治38年フランスのパテー社の映画を購入して帰国。映画会社・Mパテー商会を設立して興行を始め、42年には撮影所を作り製作にも進出。43年白瀬矗中尉を隊長とする南極探険隊が出発すると撮影班を同行させ、貴重な記録映像を残した。45年日本活動写真株式会社(日活)を設立、映画界の元祖となった。亡命中の孫文を自宅にかくまい、宋慶齢との結婚をとりもった他、映画産業で儲けた大金を革命に費やすなど、生涯に渡って孫文と中国革命の援助を続けた。」とある。

 この小説を読むと、このような日本人が明治の時代にいたことを、日本人の一人として誇りに思わざるを得ない。
 孫文29歳、梅屋庄吉27歳という若き日に2人は知り合い、その時の、孫文の革命にかける情熱に共感し「君は兵を挙げよ、我は財を挙げて支援す」と盟約を結んだ梅屋庄吉
 その後、孫文の志の達成のためと言っても過言ではないほど実業で財を成すことに傾注して、それを、見返りも求めず、無条件の援助をし続ける。
 梅屋庄吉孫文に支援した革命資金は、一説には今日の金額にして約1兆円とも言われるが、この物語の最後で著者は「少なくとも数百億円にのぼると見られるが、試算はまだ確定していない。」と結んでいるように、梅屋庄吉孫文に対しての資金面での援助は〝無限〟とも言える〝友情〟の上で成されていたのである。


 実は、2011年の辛亥革命百周年の年に、たまたま目黒の台北駐日経済文化代表処(台湾の駐日大使館)の前を通ったら、─「孫文と日本の友人たち−革命を支援した梅屋庄吉たち」特別展 ─というのを開催していたのに出会った。
   
             
 その特別展も興味を持って観たのだが、それを思い出しながら、この『 友情無限 』も読んだ。
 さらに、その5年前に、北京でヤマギシの循環農法の展示会を開催した時、北京市の胡同(フートン)を散策しながら、後海のほとりにある宋慶齢の旧居「宋慶齢故居」を探し当てて参観したことも思い出した。