巾着田の「曼珠沙華」を見に行く

 今日は暫くぶりの涵養日を取る。
 毎年この時期になると「一度行ってみたい」と気になりながら、なかなかチャンスがなかった日高市巾着田曼珠沙華群生地」に行ってみた。


 朝8時ちょっと前に、タケイ夫妻とミドリちゃんを誘って、横浜線を八王子から八高線に乗り換えて、さらに東飯能西武新宿線に乗り換えて高麗駅に9時40分に到着。
        
 駅前には、大きな赤い塔が2本建っている。
 ここ「高麗」は、唐・新羅に滅ぼされ亡命して日本に居住していた高句麗からの帰化人たちが、この地に移住していた地域である。
 この赤い塔は「チャンスン(将軍標)」と言って、「天下大将軍」「地下女将軍」と男女の標が対になったもので、韓国では村の入口に魔よけとして置かれているらしい。


 駅前でパンフレットをもらって歩くこと10分ほどで、「天水の碑」があった。
 昔、干ばつや大洪水などの天災や水難事故を鎮めるために建てられたものらしい。
        
        
 さらに進むと高麗川に架かる鹿台橋を渡る。
        
 高麗駅から15分程歩いて、巾着田に到着。
 案内板をみると、確かに「巾着」状に高麗川が流れている。
        
        
 休日でもないのに、僕たち同様の観光客が多い。
 昨日は、天皇ご夫妻がここを訪れたと今朝TVニュースで流れていた。
 確かに、曼珠沙華が咲いている。
        
        
 しばらく歩くと「曼珠沙華公園」の入口。この時期は入場料が300円。
 凄い、ほんとに凄い。曼珠沙華が林の中に咲き誇っている。
        
        
        
        
        
        
        
        
 見事というほか言葉がないほど、彼岸花曼珠沙華)が林の中で咲いていた。


 曼珠沙華は、巾着田高麗川に沿って群生しているのだが、巾着田の中央にはコスモス畑。
 秋空のすじ雲と、コスモス畑は、なかなかいい。
        
        
        


 巾着田を出て、国道299号の天神橋を渡ったところの「手打ち蕎麦・玄蔵」で、見るからに職人・コダワリありの店主が打ってくれた「もりそば」+「てんぷら盛り合わせ」をいただく。
        
 「30分以上、待たせることもあります」と入口に書いてあるだけ、蕎麦には自信があるのだろう、美味しかった。


 帰りに「高麗郷古民家」によって、地元の人らしい方に説明案内をしてもらう。
 建築されたのは江戸時代末から明治時代前半。母屋の2階では蚕を飼っていたらしい。
 国の登録有形文化財(建造物)。
        
        
        


 秋晴れの、いい一日だった。


ウィキペディア引用】巾着田
地元では川原田と呼ばれている。8世紀にこの付近に移り住んだ高句麗からの渡来人が、大きく湾曲した高麗川を利用してこの地を開墾して田を作り、稲作を伝えたと言われている。
昔は文字通り水田が広がり、その面積は約17ヘクタールに及んでいた。昭和40年代に当時の日高町巾着田を取得し、昭和50年代〜60年代ごろに草藪の草刈りをしたところ、大規模な曼珠沙華の群生が見られるようになり、報道が始まったことで、有名スポットとなった。河川の蛇行や氾濫により上流部から土砂とともに球根が流れ着いたものと考えられている。
毎年9月〜10月にかけて高麗川沿いの河川敷にある5.5ヘクタールの群生地にヒガンバナ彼岸花曼珠沙華)が見頃になる(「500万本の曼珠沙華」を標榜する)。日本一のヒガンバナ群生地であり、祭り等も開催されたくさんの観光客で賑わう。