坂口恭平著『徘徊タクシー』を読む

 「現政府に文句があるなら、勝手につくっちゃえばいい! 」と、東日本大震災後に故郷に移住した熊本で「新政府を設立」し、初代内閣総理大臣に就任。
 その経緯と考え方を書いた『独立国家のつくりかた』が話題になった坂口恭平
 その彼が、介護問題をテーマにした小説『徘徊タクシー』を書いたと新聞で知ったのは1ヵ月ほど前だ。
 現在、大きな社会問題になっている「認知症」を、坂口恭平の視点から捉えたら・・・???と、気になっていた。
 土曜日、ブックオフに寄ったら、その『徘徊タクシー』を見つけたので、早速、買った。定価1300円が税込み860円だった。
          
 表紙帯に
  「人間はつい 目の前の 現実を 世界の すべてだと 思ってしまう。」
  「でも、実はそうじゃない!」
  「この世にボケ老人なんていない。」
  「彼らは記憶の地図をもとに歩いているだけなんだ。」
 このように書かれている。
 140ページに満たない物語なので、日曜日に一気に読んだ。

 物語は、
 祖父の危篤の知らせに故郷の熊本に戻った主人公。
 お葬式の中で、祖父が面倒見ていた認知症の曾祖母に再会し、それに手を焼く家族の姿。
 彼女の徘徊を満足させるために祖父はドライブに連れ出していたことを知る。
 祖父の代わりに、祖父のワーゲンに乗せて、彼女が指し示す方向に導かれながら出かけたドライブ。
 そこで、「曾祖母には曾祖母の記憶の場所がある。」
 「自分が今感じている世界だけが事実ではない。祖母には祖母の、母ちゃんには母ちゃんの、そして、トキヲにはトキヲの、この家への視線と時間の堆積がある。見えている風景は同じようで、実は全く違うのかもしれない。」
 認知症は単にボケてなんかいない、曾祖母(トキヲ)は「曾祖母の世界に生きている」と気付く。
 そこで、徘徊老人を乗せて時空を超えた旅するタクシー業を思いつく。

 そして実際に、
 交通事故で夫を亡くし、幼子に「パパは宇宙に行った」と言って、子供を女手一つで苦労して育てた認知症の女性を、その「徘徊タクシー」に乗せ、行き先を探りながら、辿り着いたのはプラネタリウム
 そこで、女性が昔、子供と語り合い時間を共有した宇宙の彼方、アンドロメダまでの大宇宙旅行を彼女に体験させるのだ。 
              


   二十一世紀の福祉の鍵は「介護」ではなく「新しい知覚」です!
   現実は一つだけでなく、人それぞれに違うのです。
   認知症は病気ではなく、新しい世界の入口なのかもしれません。


 これは、物語に出てくる「徘徊タクシー」のパンフレットの言葉だ。
 躁鬱の世界を知っている坂口恭平だから、認知症を患った人の世界を、このような優しい眼差しで描き書けた小説なのかも知れないと思った。