お盆連休も終わって、今日は月曜日。
学生はまだ夏休みのようで少ないが、街に人々が戻ってきた。
夕方4時頃、郵便局に行くのに駅前を歩いたら、ほんとうに、ほんとうに、残暑厳しい陽ざしが、街行く人に注いでいた。
鷲田清一・内田樹著『大人のいない国』 より
この本の中で、大人の教養について、鷲田清一は言っている。
『つまり本物と偽物を見分ける力を身につけることが大切だということです。大人の教養って、そういうものだと思うんですよ。教養とは、価値の遠近法を身につけること、と言うこともできますね。たとえば、「絶対に捨ててはいけないもの」と「あってもいいけどなくてもいいもの」と「端的になくてもいいもの」といった異なる価値を、自分の中に据えることができるか。
もっとわかりやすい例を出しましょう。以前、アートマネージメントをしている友人と、人はどうして美術館に行くのだろうか、という話題になったんです。解答の一つは「ずっと見たかったものを見に行く」。二つ目は「見たことがないものを見に行く」。三つ目は「見とかないかんから見に行く」。教養にとって大切なのは。三つ目の「見とかないかん」というところに自分で判断がつくかということ。それから、二つ目の「見たことがないもの」に出会いたいという動機ですね。』
実に含蓄のある言葉ではないか。
読書にしても、映画鑑賞にしても、それは言える。
ここに出てくる『価値の遠近法』について、ちょっと興味があったので調べてみたら、鷲田清一は大阪大学総長時代の卒業式でも述べていたので、ここに転載する。
─ 日々それぞれの持ち場でおのれの務めを果たしながら、公共的な課題が持ち上がれば、だれもがときにリーダーに推され、ときにメンバーの一員、そうワン・オブ・ゼムになって行動する、そういう主役交代のすぐにできる、しなりのある集団。
その意味では、リーダーシップとおなじくらい、優れたフォロワーシップというものが重要。自分たちが選んだリーダーの指示に従うが、みずからもつねに全体を見やりながら、リーダーが見逃していること、見落としていることがないかというふうにリーダーをケアしつつ付き従ってゆく、そういうフォロワーシップ。
さらには、良きフォロワーであるためには、フォロワー自身のまなざしが確かな「価値の遠近法」を備えていなければならない。
「価値の遠近法」とは、
①絶対なくしてはならないもの、見失ってはならぬもの
②あってもいいけどなくてもいいもの
③なくてもいいもの
④絶対にあってはならないもの
この4つを見分けられる眼力のこと。 ─
こんな文章に出会うと、あらためて自分はどうかと立ち止まってしまう。