今日の案内所訪問客

 高田馬場の案内所に60代後半と思われる男性が訪ねてきた。
      
 「北海道の中標津の近くのヤマギシの村は、今でもあるのでしょうか?」
 その方は、ぼそぼそと、遠慮がちに話し出す。

 話を聞くと、早稲田の学生時代に当時はヤマギシズム北海道試験場と呼ばれていた現・別海実顕地に、SCI(国際市民奉仕団)のワークキャンプで1ヵ月間滞在したのだという。
 「ああ、そうですか。今は別海実顕地というんですか。」
 「今もあるんですね。安心しました。」
 「あの時の事は、時々、思い出すんですよ。」
 当時、実顕地で過ごした思い出を、ぽつりぽつり語る。
                    
 それで、別海実顕地が45周年記念で出した冊子を見せると、写真を見ながら、
 「そうそう、ここですよ。」
 「牧草をね。みんなでフォークでね・・・」
 顔がだんだんと和んでくる。
                    
 僕は「当時の人で、誰か覚えている人いますか?」とたずねると、しばらく上を向いて、目を泳がせて、
 「アイザワという人がいましたね。」
 「一度だけ、三重の方に移ったと聞き、たずねたことがあります。」と言う。
 それで、三重のヤマギシの村・春日山実顕地で発行した「春日山50年のあゆみ」の表紙に載っているアイザワさんの写真を見せると、
 「ああ、この人、面影がありますね。もっと髪はふさふさしてました。」と・・。

 その方は、その後もSCI(国際市民奉仕団)の活動を続けて、カンボジアなどに行かれたのだと言う。
 北海道での経験が、東南アジアに行ったりした中での、それ以降の生き方に影響をもたらした様な話もしれくれた。
 「今は、何のお仕事をされているのですか。」という僕の問いに、
 「細々とツーリスト・ライターというもの書きやっています。」と言っていた。

 帰りがけに
 「高田馬場ヤマギシの看板があるのが、前々から気になっていましてね。今日は、思い切って訪ねてみました。」
 「北海道のヤマギシが健在だって聞いて、嬉しいなあ。安心しました。」
 そう言って帰って行った。
                        
 その方の中に、学生時代に触れたヤマギシズムが、今でも息づいているのを感じながら、僕は見送った。

(挿入写真は「むらnet」にアップした別海実顕地・井口さん作品を使わせてもらいました)