「原発20Km圏の閉鎖」で思ったこと

 僕は福島県南部の生まれである。原発事故の起こった福島第一原子力発電所から直線距離でちょうど80Km。「原発20Km圏内には立入禁止」と告げられた人々の心情を思うと心が痛む。
 いま、その地で生まれ、その地で育ち、その地で生活していた人達が、その地に戻れないというのは、どんなことだろうか。避難地で、この新聞の見出しをどのような気持ちで見ているのだろうか。やりきれない、せつない、きっと言葉にもならないだろう。
 

 新聞は今朝読んだのだが、あらためて帰宅の電車の中で、この新聞を見ながら、田舎生まれの僕にとって「ふるさと」って何だろうか。そんなことまで考えてしまった。
 そして、ふと、石川啄木の「ふるさと」を詠んだ歌に「石をもて・・・追われるごとく・・」そんなものがあったと10代の頃に手にした啄木歌集の記憶が蘇った。
 啄木の「ふるさと」は岩手県渋民村である。
 寺の住職をしていた父親の金銭不祥事や、代用教員をしていた啄木自身の校長などとのトラブルが原因で「石をもて追はれた」状況になったと言われているが、果たしてどうなのかはわからない。啄木の「石をもて追われる…」その言葉だけは、妙に記憶していた。

 啄木の歌
   「石をもて 追はるるごとく ふるさとを 出でしかなしみ 消ゆる時なし」

 啄木の「ふるさと」を離れなければならない状況が、父の不祥事や啄木自身の性格に起因するとしたら、そんな啄木の「ふるさとへの深いこだわり」と、今回の「原発20Km圏の閉鎖」という当事者にとっては不可抗力的ともいえる事態の「ふるさとを追われる」心境は、きっと比較の対象にはならないだろう。
 だから、なおさら、今回の「原発20Km圏の閉鎖」を告げられた人々の心境を思うと、心が痛むのだ。
 「原発20Km圏の閉鎖」を告げられた人々の方が、啄木よりももっともっと、言葉にならないほどの「心の痛み」を感じながら、「石をもて追われるように…」の心境ではないだろうか。