僕の2017年読書「ベスト10」・その2

 僕は今年の2月に、『僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』という新書を読んだ。
 細胞生物学者でもあり、著名な歌人でもある京都産業大学教授の永田和宏さんが、各界の著名な人と対談している本だ。
       
 対談相手は、
 ノーベル賞を受賞した京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥さん。
 将棋界のトップに君臨する羽生善治さん。
 映画『そして父になる』などで有名な是枝裕和さん。
 霊長類学者でゴリラ研究の第一人者であり京都大学総長の山極壽一さん。
 である。


 対談している人達にも興味があったが、永田さんが「はじめに」で書いていることに、僕は心惹かれた。
 永田さんは今の学生達に接していて「数年前から強く感じてきたのは、彼ら若い世代から、誰かにあこがれるという話をほとんど聞かないということである。あこがれるという意識の希薄さ、あるいはもっと端的にあこがれの対象を持っていないと言い換えてもいいかもしれない。」といい、小学校時代に偉人伝を読むという経験も少なくなっていると書いている。
 さらに「いま、大学を択ぶというときに、誰かその大学で講義を受けたいという先生が居ることでその大学を択ぶという受験生は、ほぼ皆無に近いと言ってもいいのではないだろうか。」と書いている。

 実は、先日、僕も「ヤマギシについて」の話を、某大学の大学院生の90分授業に呼ばれて話したのだが、その後で、僕を呼んでくれた教授と昼食をとりながら話したことを思い出してしまった。
 僕が「今日の学生は、みなさん素直でしたね。」と言ったら、
 教授が「そこが、今の学生の問題点なんですよ。独自の考えで、世間とは違った生き方をしているヤマギシの話を聞いたら、一人や二人は、内容に突っ込みを入れるような質問があってもいいと思うんですが、今の学生にはそれがないんですね。」と、学生の物足りなさを呟いていた。

 永田さんが「はじめに」で書いていることと、僕を授業に呼んでくれた教授が言っていたことの「元」が、同じなのではないかと思ったのだ。
 関係面を大切にするあまり、疑問さえも投げかけず、自分とは違う生き方をしている人間には、眺めているだけで、自分とは関係ない存在。
 僕たちの世代よりも、社会と自分が遠くなってしまった若者。
 周りの人達とも、相手の心根まで入り込まず、僕たちの感覚でいう「親友」が持てなくなった若者。
 永田さんが言う「そんな偉い人たちは、自分たちとは別の世界の住人なのであって、とても努力などで追いつける存在てはないといった思い込みが強いのである。」「最初からそこへ近づこうなどということすら思いつかない。」若者たち。

 そんな若者に、僕ら世代は、どんな働きかけが出来るのか。
 永田さんは、「このような若者たち、学生たちのネガティブな心性になんとか風穴を開けたいという、ちょっとドン・キホーテ的な思い」で企画し、なにかに「一歩踏み出す」ことの大切さ、「踏み出さないことには、すべてのことが何も始まらない。」ことを感じて欲しいという思いで、各界のスーパーリーダーの「何者でもなかった頃」の体験を語ってもらった本なのだ。