今日は冷たい冷たい雨の日

 東京は、朝から冷たい雨が降り続いた一日だった。
 こんな冷たい雨の雑踏を、マフラーで襟元をブロックしながら歩いていると、「年末」が近づいているのを、なぜか体感する。

 
◇読みたい本が溜まっている
 ここのところ、朝夕の通勤電車の中でも、機関紙編集のことを考えていたり、年末の特講や研鑚学校のことや諸々のメールのやりとりなどがあって、読書に費やす時間が細切れだったりで、読みたい本が鞄の中に入れっぱなしになりつつある。
 現役キャリア官僚が書いたと話題になっている『東京ブラックアウト』という新刊を、やっと読み終えた。
 前作の『原発ホワイトアウト』同様に、再稼働が着々と進む原発の裏舞台や、再び事故が起こり、関東平野が死の地帯となる物語に、「ホントにそうなの?」と衝撃のある内容だけれども、僕の中では、ここに感想を書くほどに、今は気持ちが醸成されていない。
 それよりも、次の2冊の本に気持ちが移っている。
     
 その一つ目は町永俊雄著『ワニの腕立て伏せ』という暮らしの中の「福祉の力」について書かれた本だ。
 妻が著者を知っているらしく「町永さんが出した本なの。たまにはこんな分野の本も読んでみたら・・」と薦められた。
 タイトルが面白い。
 まだ「はじめに」と数ページしか読んでないが、その範囲で想像すると、
 アマゾンの奥深くでワニが「これから毎日腕立て伏せをする」と宣言すると、ピラニアや極楽鳥やリスザルなどが「ムダ!」「ムリ!」と冷たく笑うだろう。しかし、「ムダ」を一掃した効率だけを求めている社会って、本当なのだろうか。「ムダ」のようなことを含んだ暮らしの中にこそ、本来の「福祉」があり、誰もが持っているその「福祉力」を考えている本なので、こんなタイトルになったというのが分かる。


 もう一冊は若松英輔著『生きる哲学』だ。
 これは新聞の読書欄で藤沢周さん(作家)が推薦していた新書。
 アマゾンの内容紹介にも
 ─ 人間についての普遍的な原理を難しい言葉で記述するばかりが「哲学」ではない。書物に書かれている高尚な哲学ばかりが「哲学」ではない。ときに肉声のなかに、手紙のなかに、あるいは人知れぬ行為のなかに、真の哲学は宿っている。─
 と書かれ、取り上げている書籍は、和辻哲郎堀辰雄遠藤周作宮沢賢治、さらにはゲーテフランクル、そして美智子皇后などなど、と多岐にわたっている。


◇帰宅時に文房具店を覗いたら
 気分転換には、書店か文房具店が、その効果があると僕は思っている。
 機関紙「けんさん」新年号の編集でちょっと疲れ気味の頭を癒やそうと、帰宅途中で文房具店に寄った。
 店頭に「2015年版・手帳」の特別コーナーが設けられていた。
 毎年使い慣れたスタイルの「手帳は高橋」の手帳を買う。1300円也。
 壁に掛かってある「2015年版・カレンダー」の見本の中から、これも毎年、好んで部屋に飾る「葉祥明」のカレンダーを選んで買う。こちらは思ったより安くて1040円也。
         
 
 例年よりも、早々と手帳とカレンダーを買ってしまった。
 12月の師走の月も、あと半月で幕を閉じるのだから、まあ〜、いいとしよう。