「けんさん 」を編集しながら思う

◇会の機関紙「けんさん・11月号 」編集完了
 来週月曜日からは、モンゴル会員の来日対応や、来週末の「会員の集い」の準備などで時間が取られると思って、何とか、今週中に「けんさん」の編集を終わりたいと、三重から帰って、昨日、今日とピッチを上げて編集作業をする。
 昨夜遅く、最終原稿を紙面を作ってくれるイワタさんに送ったら、今日の朝から昼前に、きれいにレイアウトされた紙面が送られてきた。
 それをチェックして、細部修正をし、午後に印刷屋さんに回した。
 明日、校正ゲラが届く予定だ。


◇介護の問題について考える
 今月号の「けんさん」1面の特集は「介護」だ。
 豊里実顕地の介護部を、新潟県で介護職に就いている2人の女性に訪問してもらって、その体験談を載せた。
               
 それの編集のために、事前にいろいろと介護問題について調べた。
 認知症も含めた高齢者介護で、日頃動いている妻にも意見を聞いた。
 知れば知るほど、如何に、今の社会システムが、介護という行為とミスマッチをきたしているかが分かる。
 人をお世話するという行為が、経済的効率に主軸をおいた社会機構では成り立たないのである。
 費用対効果が先に立つから、忙しさと低報酬という環境的問題だけでなく、従事している人の〝この人の日常生活を少しでも手助けしたい〟という、お世話すればするほど湧き上がってくる、大事な大事な人間的心情と乖離する。
 それと、今までの一般的な介護は、経済的効率からはみ出した高齢者を、老人ホームなどの空間に入ってもらうことを、家族も含めて安心としてきた点に、超・高齢化社会を前にした今、問題が大きくなってきている。
 介護を必要とする、認知症を患っている人を含めた高齢の人達のお世話を、隔離する箱物と、それの運営も含めた介護の現場や、介護保険の活用に、費用対効果を考えなければならない社会制度システムでは続けられないのである。
 調べれば調べるほど、問題の大きさにたじろぐが、どこに視点をおいて考えるのか・・・。
 ヤマギシズムを実践しようとしている自分たちが、この問題をどう捉えるのかが問われている。
 介護問題からも、現在という時代は、価値観、人生観、社会観にとっての、大きな分岐点なのではないかと気付く。
                  
 「特講」でヤマギシズムに触れた人達の多くが、全国各地で介護職で日々奮闘している。
 その人達が、横の繋がりを持ち、研鑚する機会をつくって、介護を通して、これからの社会を考えられないものか。
 「けんさん」編集をしながら、そんなことを考える昨日、今日だった。
 これをきっかけに、これからも継続テーマとして考えたいと思う。