宮本輝のいう「人間力のあるおとな」

◇先々週の週末、気になっていた映画『草原の椅子』を観た。
 佐藤浩市が主役だというのもあったし、原作が宮本輝というのもあったし、舞台となったパキスタンフンザの風景が素晴らしいと聞いていたこともある。
 そして、『草原の椅子』というタイトル自体にも僕を惹き付けるものがあった。
            
 一言でいったら「中年の男が、生き方を問い直し、模索し、旅に出て・・・」そんな内容なのだが、鑑賞後には、温かいものが心にどっしりと残り、そして、爽やかな気持ちになっている自分に気付いた映画だった。
 その、人生の岐路に立って、自分の「使命」とは何かと問い求める中年男性役を、佐藤浩一と西村雅彦が、実にいい味を醸し出して演じている。
 2人の好演技が、観るものに、血の繋がりを超えた、人としての情というか、人間愛の存在というか、そんな大きなものを、感動を持って感じさせてくれた。


◇そんな映画だったのだが、僕はもっと、この感動を醸成させて、宮本輝が言おうとしたことを確かめたくなったことと、タイトルとなっている〝草原の椅子〟というのが、僕は映画ではハッキリととらえることができなかったので、その足で書店に寄って、原作である『草原の椅子』文庫(上・下)を買って帰った。
            
 今日の時点では、まだ(上)だけが読み終わった段階だが、映画では表し切れなかった数々の出来事にまつわる人間模様、現代社会に漂う閉塞感や社会風潮に対しての憂い、中年になったからこそ見えてくるものが、原作では次から次へと出てくる。
 そんな中で、自分の存在を問い、自分の使命を考え、自分の生き方を求める中年男の心境が、ページをめくる指を急がせる。
 (先日も、バスの中で読んでいて、降りる停留所に気付かず乗り越したくらいだ)
 

◇文庫『草原の椅子』(下)の本文を読む前に、あとがきを読んだら、宮本輝は次のように書いている。
 ─ 長い旅のあいだ、しょっちゅう考えたのは「おとな」とはどのような人間のことを指すのかという問題だった。文明と民族の十字路をさまよっているうちに、私は「日本」に「おとな」がいなくなったことを痛切に感じたのだった。しからば、「おとな」とは何であろう。 
 ─ 「草原の椅子」のなかで、私は市井のなかの「人間力のあるおとな」を主人公に置きたかった。学歴や肩書きや地位や収入とは関係なく、慈しみの心を持つ、人間力のあるおとなを書きたいと思った。

 これを読んで、僕は、
 この宮本輝の「人間力のあるおとな」を確認するためにも、じっくりと(下)を読み進めたいと思った。