よしもとばなな著『スウィート・ヒアアフター』を読んで

     
 この小説は、恋人とのドライブ中に交通事故にあって、恋人は亡くなり、自分は「鉄の棒がお腹にささり、一度死んで、生き返った」女性(小夜子)の物語だ。
 小夜子は生死の淵をさまよい、可愛がっていた犬や、好きだったかっこいいハーレーに乗るおじいちゃんに会ったりして、生き返る。その後、小夜子には幽霊も見える。そして、幽霊も含めた周りの人達との関わりの中から生きる希望を回復していく。
 こんな物語ではあるが、少しもオカルト的なものでなく、幽霊も、そして小夜子が「いま生きている」そのものの貴重さ、素晴らしさを感じている心情が、素直に心に入ってくる物語だ。
 さらに、あとがきで「どんなに書いても軽く思えて、一時期は、とにかく重さを出すために、被災地にこの足でボランティアに行こうかとさえ思いました。しかし考えれば考えるほど、ここにとどまり、この不安な日々の中で書くべきだ、と思いました。」と書いているように、大震災を経験した人々と、直接的には被害にあっていないが、知人や同胞の惨事に心を痛めているであろう僕も含めた多くの人達に対しての、もの書きを生業にしている「作家の祈り」であると、素直に受け止め、読み取ることができた。
 それを通して、僕は、いま生きていることの大切さ、いま自分が存在している貴重さ、そういった「生への賛歌」の物語だと思った。
 さすが「よしもとばなな」である。
    
 読み進めながら、主人公・小夜子の心情に感動した場面が何ヶ所もあった。その一部を下に記してみたい。
◇毎日通うバーでカウンターの向こうのバーテンダーが「私の様子を見ながら、わざとゆっくり飲み物を出す」のを感じて、
「そういう小さいことが人間関係をこつこつと創っているのだということも、事故のあとにはじめてほんとうに気づいた。夜通し語り合ったり、いっしょに寝たり、旅行に行ったりするのではなくって、毎日ちょっとずつ気づかない程度に思いやり合っているだけでも、しっかりと信頼のお城ができること。若すぎて勢いがありすぎた頃には、そんな淡い人間関係には気づかなかった。」と小夜子は感じる。
◇小夜子は移りゆく自然にも、
「この世はなんて美しい、激しく緑が伸びる夏もあれば、すぐにあんなに寒く美しい別世界のような季節がまためぐってきて、あの椿の赤や落ち葉の黄色を眺めることができる。人間はいつでも巨大な劇場にいるみたいなものだと思う。心の中のきれいなエネルギーを世界に返すことが観劇のチケット代だ。」と感じる。
◇女性の幽霊を通して知り合った、その息子「ぜんぜんあてにならない彼、ふわふわした場当たり的な性格で、ちっとも頼もしくない」男性とコーヒーを飲みながら、
「それでも彼の頭の中のハッピーが今この瞬間の私をハッピーにした。」と感じて
「親が私をねたみぐせのある人間に洗脳しなかったことを、弱っている期間には特にありがたいと思った。」と親に感謝し、
「人の心の中のいい景色は、なぜか他の人に大きな力を与えるのだ。」感じる。

 よしもとばなな著『スウィート・ヒアアフター』は、僕の「お薦めの一冊 」にはちがいない。