午後3時過ぎ、研鑽会が終わってティータイムの時に、1人の青年が訪ねてきた。
訪ねてきた青年は、早稲田大学大学院国際情報通信研究科のK君。23歳。爽やかな青年。
出身は岐阜県で、小学2年生の時に春日山実顕地の楽園村に1回だけ参加したという。
最近、ふと思い出してヤマギシをインターネットで検索したら、事務所が高田馬場にあることを知って訪ねてきた。
みんなのお茶のテーブルに入って、オバサンたちの質問攻め。
「楽園村は僕は楽しくなかったです。」「僕は集団生活が嫌だったから・・」「そうです。母が特講というのに参加して、僕たち兄弟3人が楽園村だったんです。」
ちょうど、ひよこせんべいがあったので出すと
「懐かしいですね。覚えてますよ。」
オバサンの質問にも、だんだんと慣れて、みんなにとけ込み
「実家の近くにいたオオモリさんという家族がヤマギシに入ったんですよ」と。
オオモリさんは三重のヤマギシの村にいることを教えると
「そうですか。元気ですか。懐かしいなあ〜」っと、しきりに言うので、カズミさんの携帯に電話を入れて、しばし話をしてもらう。
電話を切ってから「懐かしいなあ。もう一度行ってみたくなったなあ」というので、村訪問を勧める。「今週末か、来週に、岐阜に帰る前後で行こうかな〜」と・・・。
彼は、ヤマギシについて
「ヤマギシって特殊な考えでやっているけど、現代社会から見たら、何か意味のあることをやっているのではないかって、思ったんです。」と言っていた。
たった1度の楽園村参加。
それも楽園村は楽しくなかったというが、でもしっかりと彼の中には、何かが残っている。ふと思い出して、案内所まで訪ねようとした彼。
これって、いろんな意味で、凄いことだと僕は思う。
今年も大勢の子供たちが楽園村を経験し(写真は春日山楽園村)、それぞれが、何かを心に刻んで全国に出発した。
その子供たちの中に、何年か経ったある日、楽園村を思い出して、案内所や村を訪ねてみようかという子がきっといるだろう。