「若者と大人」についてのおしゃべり

◇若者の潜在能力って?

 先日、大工養成塾のようなところを3ヶ月で辞めてしまった若者に、これからどうするのか話を聞いて欲しいと言われて、その若者と話をする機会があった。
 辞めるには、辞めるなりの理由があるのだろうと聞いた。
 「親方と二人っきりで、親方は何も教えてくれない。」
 当たり前だろう・・・昔から職人の世界は「見て盗む」と言うではないか。
 「3人いた若いのが、みんな辞めてしまった。」
 他の人がいやになったのと、お前が辞めたいと思ったのは一緒なの?
 誰かが言っていたよな。人が嫌いになるのって、理由があって嫌いになるのでなくて、嫌いになってから理由が出てくるって・・。もう辞めたいと思ったから、その理由が出てきたのと違うの?
 そんなことを思いながら話を聞いていた。
 でも、そんなことを、この若者の前で言っても通じないだろう、年寄りの小言くらいで嫌われるのがいいところだ。
 この若者には、どんな能力があるのだろう。どんな仕事が向いているのだろう。
 この若者の潜在能力って、どうやったら分かるのだろうか。わからないよなあ〜・・。
 何がやりたいのかと聞いたところで、まだまだ分かるはずはないよな。
 聞いている僕の方が揺れる・・。
 結局は、若者に何の助言も出来ずに「もっと考えようか」的な、あやふやな言葉で終わってしまった。
 そんな終わり方が、ずっと心に残っていた。


◇大人としての助言?

 今日、ネットで「ダイヤモンド・オンライン」メールマガジンを読んでいたら、こんな記事が目にとまった。 
 吉野家会長の阿部修仁さんをインタビューした記事だ。
 題して『「さとり世代」に迎合する上司はもっての外』
 その中で阿部さんは、こんなことを言っている。
 『どんなに早熟な若者であっても、社会に出て働く上では0歳児と同じ。私は学生と話すときには必ず、「多くの人が自分の好き嫌いと適性を勘違いしている。向いている職業なんて、社会に出てやってみないとわからないよ」と言います。
 仕事として実際にやってみた結果、好きなことでもうまくいかなかったり、やりたくないと思っていたことが、人よりできて面白さがわかったりもする。それは頭の中で考えたり、中途半端にやってみただけでは分かりません。
 1つのことに全力で取り組んで初めて、自分の潜在能力に気づき、才能を開花させることができるのです。
 好きなことでそのままうまくいくという人生は極めてまれで、若いうちは何が自分に向いているのかを模索し、苦しみを克服してステッブアップしていくもの。そうやってもがく中で、ようやく道が見えてくる。そういうことを経験から教え導くのが、大人の役割です。
 若者に「1週間でも1ヵ月でもいい。だまされたと思って全力でぶつかってみろ」と言える大人が、いまどれくらいいるでしょうか。
 若者の気持ちを忖度して迎合し、結果として若者が持つ可能性を引き出せないとしたら、その方がかわいそうです。いまほど、大人が大人としての責任を果たしていない時代はない・・。そう考えるのは、私だけでしょうか。』
 この記事を読んで、ズシリと感じてしまった。
 これから社会に旅立つ若者に対して「大人が大人としての責任を果たす」・・・。
 「まずはアルバイトを探す」といっていた若者と、もう一度、話す機会を持とうと思う。