ルトガー・ブレグマン著『 Humankind 希望の歴史 』(下) を読む

 先日、『Humankind 希望の歴史(上)・人類が善き未来をつくるための18章』を読んだら、どうしても(下)も読みたくなって、いつも行っている町田の書店には在庫がなかったので取り寄せてもらって入手。
 (上)同様、(下)も、実に読み応えのある、刺激的な内容だった。

    

 この著書『Humankind 希望の歴史』(上)では、性悪説の根拠とされていた今までの学説や報道を1つ1つ丹念に調べ直して、定説となっているのを覆し、「人は本質的には善であるのではないか」と考察していた。

 そして(下)では、さらにそれを深く考察して、「信頼と交流、人の本質的な善」をベースにしたものの見方をすれば、もっと住みよい社会に再構築できるのではないかと提言しているのだ。

 例えば、著者の記述の中で
「興味深いのは、20世紀の2つの主要なイデオロギーである資本主義と共産主義が、この人間観を共有していたことだ。資本主義者も共産主義者も、人を行動させるには2つの方法しかない、それはニンジンと棍棒だ、と語る。資本主義者がニンジン(つまり、金)に頼る一方、共産主義者は主に棍棒(つまり、罰)に頼った。両者はあらゆる点で異なったが、同意できる1つの基本的前提があった。人は放っておくと、やる気にならない、というものだ。」と述べ、
「心理学や生物学、考古学や人類学、社会学歴史学における最新の証拠を見ると、わたしたち人間は数千年にわたって、誤った自己イメージに操られてきたと言わざるを得ない。ずいぶん長い間、わたしたちは、人間は利己的、悪く言えば、獣だと思い込んできた。」
「しかし今、人類とその歴史に対するこの見方が、まったくの間違いだったことを理解した。」
「大半の人は親切で寛大だと考えるようになれば、全てが変わるはずだ。そうなれば、学校、刑務所、ビジネス、民主主義の構造を全面的に考え直すことができる。そして、人生をどう生きるか、ということも。」と、社会の再構築に希望を見いだしている。


 その上で、最後のエピローグで、「そこにいる人々は、互いに対して善良でありたいと心から思っているのだ」と言いきり、「人生の指針とすべき10のルール」を具体的に提唱している。
 この感想を読んだだけでは、何と甘い見方・考えだと思うかもしれないが、本書を読めば、それが具体的に考察されて、希望が持てる、そんな内容なのだ。

 最後に、もう1つ記しておきたいことがある。
 それは「共感」についてである。
 著者は「共感は目を塞ぐ」といい、「共感はわたしたちの寛大さを損なう。なぜなら、犠牲者に共感するほど、敵をひとまとめに『敵』と見なすように」なり、善人を悪人へと転じてしまうと言っている。
 僕も自分に引き付けてみると、日々、ニュースを見ていても、悲惨な映像を流し続けている報道者に共感して、一方的に「悪人」をひとまとめに作りだしている自分がいやしないか、そんな事を思った。
 著者は──より重要なのは「共感」でなく「思いやり」だ──と述べている。