今日は水曜日で、ファーム町田店がお休み。
朝起きたら秋晴れ。
「今年はどうだろう?」と気になっていた薬師池公園付近の「ソバ畑」と「秋桜畑」と「曼珠沙華の群生地」に行ってみた。
歩き出して、途中から陽差しが強くなって、ちょっと残暑厳しく、思い切って汗をかいたが、満足のいく約3時間半の散策だった。
◇旧鎌倉街道
我が家から30分ほど歩くと七国山。
そこに、鎌倉~高崎間を結ぶ旧鎌倉街道がある。
七国山の「鎌倉街道の碑」
新田義貞が鎌倉幕府討伐軍を進めている時に掘らせたとの伝承がある「鎌倉井戸」。
◇七国山のソバ畑
僕は毎年、この季節になると、ここのソバ畑の白い花をみて楽しむ。
僕も5~6年前までは、関東の有志10人ほどで、栃木県のヤマギシの大田原農場で、毎年、8月にソバの種を撒いて、この時期に花を愛でて、11月に収穫し、12月には「新そば」を打って楽しんだ。
◇曼珠沙華の群生
薬師池公園の中の茅葺き民家の裏が、曼珠沙華の群生地だ。
◇「ぼたん園」にあった「自由民権の碑」
ソバの花、秋桜、曼珠沙華と、今日の散策目的の花も見られたので帰途についた。
スマホで自宅までの経路を検索したら、薬師池公園の北側の「ぼたん園」を経由するのが最短コース。
「ぼたん園」は、園内に約330種類1700株の牡丹と、約60種類600株のシャクヤクが植栽されている。
牡丹とシャクヤクが開花する4月中旬から5月上旬は入園料があるが、今の時期は無料だったので、ちょっと疲れたので休憩を兼ねて入園。
前にも牡丹が咲いている時期に来たことがあるが、その時は花々に見とれて気付かなかったが、なんと園内に「自由民権の碑」があるではないか。
入り口に一人だけいた警備のおじさんに尋ねたら、「ここは、石坂昌孝の家の跡なんだよ」とのこと。
スマホを取り出して検索してみると、確かにそうだ。
明治初期の自由民権運動の指導者であった石阪昌孝の邸宅があった場所なのだ。
ここにあるのは、石阪昌孝の長女「美那子」と文学者「北村透谷」が出会ったゆかりの地を記念した「自由民権の碑」だった。
石坂昌孝は、自由民権運動に私財を投じて、跡に残ったのは塀と井戸だったと記載されている。
園を出るときに、警備のおじさんにお礼の声かけをしたら、「石坂昌孝のお墓もあるよ。この細い道を辿っていくと自由民権の森って呼ばれるところにあるから行ってみたら・・・」と教えてくれた。
ここまで来たら脚を伸ばそうと自由民権の森へ。
「ぼたん園」の裏手の山頂に、そのお墓があった。
今までも、ここから少し離れた芝溝街道にある「自由民権資料館」には度々訪れている。
そこは、自由民権運動に石坂昌孝ともども係わった村野常右衛門が、私財を投じて建てた文武道場「凌霜館(りょうそうかん)」の跡地だったところだ。
石坂昌孝が「ぼたん園」で、村野常右衛門が「自由民権運動資料館」と、その功績が今の残っている。
そんな意外な発見の、今日の散策だった。