川口雅幸著『からくり夢時計』を読む

 我が家のロビーの本棚で見つけた児童文学書・川口雅幸著『からくり時計』
 誰かが読んで断捨離したもの。
 ファンタスティックな表紙を見て、何となく読んでみようと思って読んだ。

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 港町の海岸通りとお寺通りを結ぶ「港一番町駅前商店街」、入り口に海猫像があることから通称・ウミネコ通りと呼ばれている。
 その商店街にある時計屋「時心堂」の次男で小学6年生になる主人公・聖時は、母親を幼くして亡くし、優しい父親と、いつも「勉強しろ」とうるさい兄--聖時にとっては、お兄ちゃんでなく「鬼いちゃん」--と3人で暮らしていたが、その鬼いちゃんは、近くに出来る大型スーパーの本社に就職し、別に暮らしているので父親と2人暮らし。
 聖時の誕生日はクリスマスと同じ。そんな誕生日とクリスマスが近づいた冬のある日、大型スーパー進出のために、めっきり客足が減って寂れつつある商店街対策で寄り合いに出掛けた父親に変わって留守番していると、あの口うるさい鬼いちゃんから電話で、クリスマスの日に久しぶりに家に帰ってくると。そしてまたまた「勉強しているか?・・・」と。
 そんなむしゃくしゃした気分の時に、昔、お爺ちゃんが使っていたという時計修理部屋で、時計のゼンマイを巻く古い鍵を見つける。
 好奇心に古い時計に次々と鍵を差し込むが合わない。最後に残ったスクラップの一歩手前みたいな時計に、なんとピッタリ合ってゼンマイを巻いてみた。
 すると、不思議なことにすべての時計の針が逆回転して、彼が生まれた年と思われる12年前の過去へとタイムスリップしてしまった。

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 そこは、12年前の聖時が生まれる数日前だ。
 聖時はそこで、現在では考えられないような、クリスマスセールの幟が何本も立つ賑やかな商店街と、幼いときに交通事故で亡くなったと聞いていたお母さんと、まだ髪の毛が黒々としたお父さんと、聖時と同い年で勉強なんかそっちのけで外での遊びに興じる兄ちゃん(聖時に取っては鬼いちゃん)と、写真でしか見たことがないお爺ちゃんのいる、賑やかな自分の家にタイムスリップしてしまったのだ。
 そこで、聖時は自分の知らなかったことを、次々と知ることになる。
 お母さんの死は事故などではなくて、自分の命と引き替えに聖時が生まれたときに・・・?
 お母さんの願いと、それに応えて育ててくれたお父さんの心は・・・?
 聖時にとって口うるさい、厳しい鬼いちゃんの本当の心は・・・?
 その鬼いちゃんが、よりによって商店街を寂れさせる大型スーパーに就職した理由は・・・?
 お爺ちゃんが時計屋になった経緯は・・・?
 などなど、タイムスリップした12年前の家族のなかで、夢のように楽しく送る数日に、いままで受け入れられなかった自分の生い立ちの真実を知る。
 それは、温かい絆の存在する、愛情溢れる家族だった。

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 タイムスリップして、自分をとりまく人達の愛情を知り、そんななかで育った自分を知った聖時は、これから自分の生い立ちを受け入れて、心豊かな人生を送るだろうと、読後に心あたたまる物語だ。
 人は、自分の原風景に触れたとき、そこに存在する「親愛の情」に驚く。
 その、その人にとっての原風景があればこそ、人と共に存在する自分を自覚し、人が人として成長するのだろう。そして、今の自分を肯定し受け入れることができる。
 そんなことを感じさせる物語だった。


 コロナ禍の現在、流れるニュースが鬱積し、気分すぐれない時だからこそ、こんな物語に触れ、心の涵養を得ることに意味があると思えた。