江川太郎左衛門英龍についてのおしゃべり

 新聞の書籍広告で、佐々木譲の文庫『 英龍伝 』を知り読み始めたこと。また、江川太郎左衛門英龍の孫にあたる人が、実は僕が昔、某電機会社に入社した時に、半導体技術者として技術部長をされていて、その後、半導体の技師長、最終的には代表取締役副社長までなられたという、そんな縁があって、興味を持って読み出したことは、先日、ブログに書いた。

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 そして、読み終わった時に、なんと、NHK・BSプレミアムの番組『英雄達の選択』 で、『奮闘! 世直し江川大明神 幕末 ”海防の祖”江川英龍が放送された。

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 では、江川太郎左衛門英龍は、どの様な人物であったのかというと、江戸末期に伊豆・相摸・甲斐など5ヵ国の天領地の代官である。
 領地の伊豆韮山では徹底して質素・倹約を貫き、領民の模範として生活しながら、「黒船来航」をはるか前から予見。自ら蘭学、西洋砲術を学び、海防強化を訴え、反射炉造築、江戸湾の台場築城を指揮。誰よりも早く時代を見据え、近代日本の礎となった事業を遺した名代官である。
 
 幕末、維新を語るときには、討幕派の薩長の英雄が登場するのだが、幕府側にもこのような人物がいて、開国を見据えた後の国づくりの基礎を遺した人物がいたことに驚く。

 もう一つ、僕が興味を持ったのが、「海防の祖」と言われる江川太郎左衛門英龍は、なんと日本の「パンの祖」でもある人物なのだというのも初めて知った。
 英龍は、天保13(1842)年、長崎出島のオランダ商館料理人の作太郎なる人物から、パンを焼き方を学ぶ。
 英龍は、軍事食としてパンに注目したのだ。
 日本人の戦いの兵糧は、戦国時代から米が基本。しかし、米は重たいし、炊飯すれば煙も出る。握り飯はすぐ腐る。米を蒸して干した干飯(ほしいい)は、昔から携帯食として重宝され行軍に欠かせなかったが、食べるときに湯でもどさなければならず不便である。その点パンは軽いし、日持ちもする。英龍は兵糧にもってこいの食べ物と考えたのだ。

 江川太郎左衛門英龍とは、そのような人物だったと、実に分かりやすく描いた佐々木譲の『 英龍伝 』であり、NHK・BSプレミアムの番組『英雄達の選択』であった。