木曜日・今日のおしゃべり

 先週中頃から、台風接近と時を同じくして、僕の腰痛が悪化。
 長時間、パソコンの前に座るのが億劫になり、ブログおしゃべりもご無沙汰気味。
 月曜日に、前に行っていた整形外科に行ったら、「台風などが来ると、腰痛を訴える人が増えるんですよね。」と先生が言う。

 腰の痛みから、自然現象と人間の体も微妙に繋がっていることを実感している。


 今日も曇り時々雨模様。スッキリした秋晴れが、今年は来ない。
 週末は13℃の気温で11月末の寒さとの予報だ。
 「たまには、来い来い、爽やかな秋空」だ。

 

◇街にはコロナ除け? ハロウィーン飾りが
 整形外科に行く途中のデイサービス施設の前。

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 整形外科で会計を済んで帰る僕に。

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◇もう「年賀はがき」の時季に
 コロナ、コロナで振り回され気味の生活を過ごしていたら、もう、年末が近づいてきてしまった。

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 もう、こんな広告が掛かっている。

 

◇昨夜は「美味しいお寿司」を食べる
 我が家・多摩実顕地の最高齢の85歳のトモコさんが、息子夫婦が住んでいる埼玉県のヤマギシの村・岡部実顕地に配置移動する。
 みんなと楽しく暮らしてきたトモコさんを、美味しものを食べながら送り出しをしようと、お寿司を取る。

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 コロナ感染防止を配慮して、一人前ずつお皿に並べてもらって、女性陣が作った「茶碗蒸し」と「天ぷら」なども小分けして、10人テーブルに5人が座って、食べる時間と、会話の時間をハッキリ分けて。
 「行ってらっしゃい」と送り出す。

 

◇これからの社会「人間観の転換」を提言する京大・出口康夫教授
 今朝の朝日新聞「オピニオン」ページに、京都大学の出口康夫教授が『新型コロナ「できない」から始めよう』と題したインタビュー記事が載っていた。

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 実に、示唆に富んだ内容であるので、ちょっと抜粋して記しておく。


――出口康夫教授は「コロナ禍は価値観の転換を迫っている」と話す。
 「コロナ禍のもとで命を守り、経済を回すという医学や経済学の目標や方向性は明確です。一方、世界中が右往左往する中、自分たちの生き方や社会のあり方はこのままでいいのか、変わるとすればどう変わるべきかといった、漠然とした、でも、より深い問題意識も広く共有されました。今こそ価値の学問である人文学が、価値の座標軸を考える手立てを社会に提供しなければと考えました」


――新型コロナのパンデミックで何を浮き彫りになったことは、
 「一番重要なのは、自分や家族の健康ですら自分たちだけでは守りきれず、周りの人々、外の世界と切れ目なくつながっていることが誰の目にも明らかになったことです。自分の体の奥で起きることも、トランプ米大統領のふるまいと結びついている。グローバル化が身体の深部にまで刺さっているという実感をもたらしました」
――コロナ禍は、歴史上の出来事の中でも特別な出来事と位置づけ、
 「ほとんど瞬時に広がったパンデミックです。世界大戦ですら中立国やアフリカの奥地など実質的には無関係なところがありました。大災害でも被災地という言葉が示すように限局されていました。今回は逃げ場がない、真のグローバル災害です」
――コロナ禍のこれからの社会は、
 「いずれにしても社会は変わらざるを得ません。例えば遠隔化。ある程度社会が回るとわかった以上、もはや元には戻れません」
 「とはいえ効率一辺倒でいいとは誰も思っていない。そうなると次はどんな社会をつくる『べきか』の問題です。座標軸を『立ち止まって、考える』ときだと思うのです」
――このように語り、さらに「基本的な人間観を転換すべきだ」と主張、
 「近代社会は、人間を『できる』ことの束ととらえ、『できる』ことに人間の尊厳を見いだし、自分のことを自分で決めることが『できる』という自己決定を倫理や法の根本に置きました。」「百八十度転換し、人間は『できない』ものと考えるところから出発しようと私は主張しています。」と語り、「誰もが根源的な『できない』を抱えていて、支えられなければ一日たりとも生きていけない存在です。そこに、人間のかけがえのなさを見いだすべきなのです」と「『できない』を基軸にした社会」を提言している。
――さらに、感染防止の3密については、
 「人間は集団で群れてきました。3密回避で物足りなさを感じるのは、3密的な濃厚接触で互いの体温を感じることで根源的な『できない』を認め合ってきたからではないでしょうか。社会の遠隔化の中でも、こうした体験を得る機会を保つ必要があります」と述べている。