江戸小紋型彫職人・高井章夫さんの作品展

 高田馬場から電車で30分弱の練馬区豊島園で、知人の江戸小紋型彫職人・高井章夫さんの作品展があることを、高井さんのFBで知った。
 江戸小紋については、高田郁さんの小説『あきない世傳 金と銀』シリーズを読んで、そこにも白子の型彫り職人が登場し活躍するので、その技に関心がある。
 そんなことで、知人の高井さんの活躍も見たかったし、技の内容も知りたかったので、夕方、帰宅前に寄ってみた。

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 都営大江戸線豊島園駅から歩いて5分ほど。
 静かなたたずまいの練馬区立向山庭園が、作品展の会場。

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 コロナウイルスのために、高井さんの説明を聴くのは予約制で、定員5名。

 高井さんは、三重県の白子出身。
 長年、型彫職人から離れていたが、危ぶまれる技術継承に一役やることがあるのではないかと、6年前から「江戸小紋・型彫職人」として復帰した人だ。

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 型彫りとはどんなものか、どんな歴史があるか、現状はどうか、などを説明してくれた。

 話の内容と、手もとの資料を要約して「型彫り」について紹介すると、
 「友禅、小紋などの柄や文様を着物の記事を染めるのに用いるのが型紙。江戸中期より始まったとされ、美濃和紙を柿渋で貼り合わせたした型地紙に彫刻刀で図柄を掘り抜く。熟練した高度な技術が必要。」
 「江戸時代には紀州藩の庇護を受けて、型紙が染めの型紙として一世を風靡した。各藩の大名、武士のの裃にはじまり、町人文化が花開く江戸中期には爆発的に需要が伸びて、伊勢型紙は飛躍的な発展。」
 「しかし、昨今のきもの離れや写真による技術の確立もあり、型紙は激減し、職人が減少、高齢化しているのが現状。最盛期は1000人の職人が従事していたが、発祥の地である鈴鹿市白子町、寺家町(三重県)は、現在20人前後、平均年齢の70歳代後半で、技術継承が危ぶまれている状況。」

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 説明の後に、型彫り実演では、型地紙の作り方や、どの紋様にどの道具を使うかなど、細かな説明をしてくれた。

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 展示してあった高井さんの型彫り作品。

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 高井さんのお父さん(故人)も、三重県白子で型彫り職人で、お父さんの型彫りで摺り上げた「型染絵」の犬や鹿の作品が展示してあった。(着物の型彫りのかたわら彫った作品のようだ)

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 この細い線が、描いたのでなく、型彫りして摺り上げた線とは驚き。
 何枚も何枚も型彫りして、重ね摺りをしたのだろう。

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