今日のニュースは、「6434人が亡くなった、あの阪神淡路大震災から今日で25年」という内容が多い。
僕も、もう、25年が経ったのだと改めて思った。
先週の土曜日、ファーム町田店のスタッフに入っていたら、こんなお客さんがいた。
夕方、暗くなった5時15分過ぎ。
僕が駐車場入り口に立てていた幟を片付けていたら、車が入ってきて「まだ、やってますか? 間に合います?」と2人の女性が降りてきた。
「5時半までですから、充分に間に合いますよ。どうそ!」と僕。
幟を片付け終わって店内に入ったら、そのお客さんは、買い物かご2つに、卵やら肉やら野菜をいっぱい。
僕の顔を見て「間に合って良かった!」と微笑む。
僕は、あまり見かけないお客さんだったので、「前から、この店を知っていたのですか?」と聞いてみた。
「時々、来るのよ。今日は、主人の友だちが10人くらい来るから、友だちにも手伝ってもらおうと連れてきたのよ。」と。
その後、こんな話になった。
そのお客さんは、ファーム町田店から車で20分~30分ほどのところに住んでいる人で、阪神淡路大震災の時には、三宮に住んでいた。
「私ね。ヤマギシさんには、本当に感謝しているのよ。あの地震のあと、自衛隊も登ってこなかった急な坂道を、牛乳とひよこ煎餅なんかを積んでヤマギシさんの車だけが登って来てくれたの。ほんと、嬉しかったわ・・・・」
こんな25年前の話をしてくれて、「それからよ。ヤマギシさんの農産物知ったのは・・・。こちらに引っ越してきて、先日、車で通ったら看板があって、嬉しかったわ・・」
そんなことを話してくれた。
「ヤマギシさんって、東北の震災の時にも材料持って炊き出しに行ったって聞いて、凄いなあって思ったのよ。やるときはやるのよね・・。」
そんな励ましのような言葉まで。
空き段ボール3コに生産物をいっぱい入れて帰っていった。
確かに、25年前の大地震の時、ヤマギシでは牛乳やすぐに食べられる物を積んで、被災地に車を何台も出した。
近くに住んでいるヤマギシの会員たちも、いろいろなボランティアで活動した。
その一つに「洗濯サービス」があったのを思い出す。
某電気会社に勤めていた会員のツテで、洗濯機を数台確保し、臨時洗濯場を学校のプール脇に設けて、洗濯サービスをして、とても喜ばれた。
あれから、もう、25年が経つ。