五月晴れ(さつきばれ)とは、6月(陰暦の5月)の梅雨時に見られる晴れ間のことを本来は言うらしいが、梅雨には入ってないが昨夜の雨が上がっての今朝は、まさに「五月晴れ」だ。
日差しは夏のようで気温は高いが、湿度は低く、風も涼しさを含んでいて、爽やかな一日だった。
今朝、我が家近くの忠生公園グランド脇を歩いた。
新緑から深緑色に変わりゆく木々が美しかった。
歩道脇の街路樹の根本に植えられている紫陽花も咲き始めた。
我が家の2階ロビーの窓からは、庭に植えられているヤマボウシの木が見下ろせる。
この白い花が、僕は好きだ。
◇かれこれ45年前の旧友たちに会う
昨日、僕が昔、一緒に仕事をした旧友たちに会った。
ヤマギシに来る前、僕は総合電機のT社に勤めていたのだが、僕が20代の時に所属していたグループのメンバーと食事会だった。
グループには11名が所属していたのだが、昨日集まったのは男性5人と女性1人。
男性では僕が一番若く、グループリーダーだったWさんは84歳になっていた。
「あの頃は、よく仕事をしたなあ~」と当時の会社生活を振り返る。
当時、僕たちは新規の工場建設や製造設備ライン整備の仕事をしていたのだが、「燃えるイレブン」とか勝手に自認して、本社経理部からの予算獲得のために、申請資料を度々徹夜で作った。
「パソコンもワープロもなかったし、よくやったよねえ~」
「結論は1ページ目にまとめて、それに至った根拠を2ページ以降に詳しく書け・・って、厳しく言われて・・鍛えられたなあ~」
そんな当時の仕事の思い出話から、Kさんが持参したアルバムを見ながら、
「よく、みんなで遊びも行ったよね」
「毎年バス旅行もあったし、会社の運動会もあったし、スキーも積み立てて行ったし、季節毎に保養所も行ったね」と。
ほんとうに公私ともに、仕事の仕方も、マージャンも、酒の飲み方も、色々なことを、一番若かった僕は教えてもらったし、育てられたと思う。
当時の会社は、そんな場でもあったが、現在はどうも違うらしい。
そんな当時のグループで、中心的存在だったSさんは、昨年8月に亡くなった。
よく帰宅時に一緒に赤提灯の下で焼き鳥を食べながら飲んだTさんは、九州にいるのだが現在は入院中だという。
今回、ここに集まった6名は、みんな元気。
84歳のWさんは、メキシコ赴任中に習得したスペイン語を駆使して、ボランティアの観光ガイドを週1回程度やっている。
食事が一段落した後、Wさんの上野公園、浅草、鎌倉のガイドポイントの話になって、「このような日本文化や日本人は、如何に形成されたのか」「外国の観光客に何を伝えたいか」などなど、そんな議論にもなって面白かった。
蛇足になるが、集まった場所は、横浜駅隣接のスカイビルの28階。
「星野なる木」という素敵な名前の日本料理のお店。
「百花繚乱」というコース料理は美味しかった。
これは初夏の庭をイメージした盛りつけ「四季彩八寸」という前菜
小田原鮮魚のお造り
「主菜」には、真鯛の五穀蒸しやタラの芽天ぷらなど、珍味が揃っていた。