有坪民雄著『 誰も農業を知らない 』を読む

 新聞書籍広告で「農家自身が書いた農業論」「プロ農家だからわかる日本農業の未来」と、こんな言葉に惹きつけられて、本書を読んでみた。

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 筆者の有坪民雄さんは、2ヘクタールの田圃酒米として有名な山田錦を栽培し、和牛60頭を飼育する、兵庫県の現役農業者である。
 有坪さんは、学者やマスコミ、政治家などが、日本の農業についていろいろ論じているが、どれも一面的にしか捉えていない。それは、農業というものがあまりにも多様で、その全貌を誰も分かってないし、農家だって分かっていない。と断言しながら、日本の農業を取り巻く情報を整理し、「農業を救うのは、農業経営の大規模化や専業農家だ」という論や、現在の化学技術の進歩を無視した「農薬=悪/無農薬=善」といった考え方に、調査数値や実例を上げながら、その実態を詳しく分析して、それが「本当はどうなのか」を説明している。

 特に農薬については、農薬研究開発の飛躍的進歩によって、昔の農薬と今の農薬の違いを述べて、無農薬作物が、農薬を使って栽培した作物よりも危険な場合もあるとさえ述べている。
 それを僕の理解で要約すると、
 自然界には、虫などから身を守るために自身が毒物をつくって身を守っている天然農薬がある。
 農薬(人工化学農薬)の多くは、こうした自然界の毒物をモデルにしている。自然界の毒物は当然人類の都合などかまってくれてない。しかし農薬の場合は、化学構造の決定に人間が関わっている。当然、農薬の開発者は、農薬が農作物に散布され、その農作物を人間が口にすることを念頭に置いて開発している。
 化学のプロフェッショナルたちは、いかに人間にとって無害で、同時に対象となる害虫や細菌には有毒で(選択制が高く)、かつ環境に残留しないようにと知恵をしぼっている。その安全を担保するための明確な『基準』を設けている。
 人工化学農薬でないなら無農薬だと、ニコチン液や木酢液をつかう無農薬農家もいるが、それが安全だとはいえない毒性を持っていて、下手な農薬よりもはるかに危険な猛毒を使っている。「農薬じゃない、自然農薬だから安全だ」と思っている盲目的な無農薬農家や無農薬信仰の消費者がいる。
 要は、農薬VS無農薬でなく、使い方の問題である。

 さらに、本書で僕が注目したのは、「遺伝子組み換え作物」についてである。
 「農業振興の基本は、まずは品種改良です。時代によって優先されるものが違いますが、収量を多くする、病害虫に強い、食味が良いなど、優秀な新品種が農業を支える基本となっていることは間違いありません。」と述べ、『遺伝子組み換え作物の栽培を実現せよ』と言っている。
 有坪さんは「品種改良、つまり新しい品種を育種するのに昔は厖大な時間がかかりました。しかし、現在は遺伝子組み換え技術やゲノム編集という技術があり、品種改良の速度はもちろん、従来の育種では不可能なレベルの品種改良が出来るようになりました。」と述べて、それによって、スギ花粉症に悩む人向けの「スギ花粉米」の開発や、穀物からエタノール(燃料)がつくれる品種の開発導入などによって、農業の可能性を力説している。
 
 「農薬」と「遺伝子組み換え」について、僕はここに取り上げたが、本書では、大規模経営化農業、六次産業化農業、ハイテク農業、農協改革案などの問題点も指摘しているし、新規就農者、企業の農業参入についての助言、都市化による住民とのトラブルなどについても書かれ、農営全般に対して論じている。
 なかなか読み応えもあるし、僕にとっては「目から鱗」的な納得も得ることが出来た農業書であった。