9月に入って最初の金曜日

 9月に入ったら、朝夕に少し涼しさを感じるし、日中の残暑厳しい陽射しにも、今までと違った感じを受ける。
 夏も終わりに近づいて、秋がすぐそこまで来ているのだなあと・・・。
 昨夜は、六本木で演劇を観賞して帰ったのが11時過ぎ、忘れないうちにブログに書こうとか、急がれている編集中の新聞紙面のチェックなどをしていたら、寝るのが1時頃になってしまって、今日は寝不足を感じる一日になってしまった。


◇ほぼ編集は終了
 会の新聞「けんさん」9月号の編集は、紙面ができて、そのデータを印刷屋さんに夕方送った。
         
 明日に校正ゲラが届いて、日曜日の夕方までに最終校正をして編集終了だ。
 

◇ナツキちゃんの作ったクッキー
 今朝、ロビーに入ったら、テーブルの上に可愛いクッキーが置いてあった。
     
     
 我が家・多摩実顕地から大学に通っているナツキちゃんが、みんなに作ってくれたものらしい。
 「へぇ〜、ナツキにこんな特技があったんだなぁ〜」と感心しながら、一個口に入れてみたら、これがまた美味しい。
 朝から一人でニヤついて味わった。

 
◇今朝の朝日新聞 『折々のことば』
 朝日新聞朝刊1面左下に、哲学者の鷲田清一さんが執筆している『折々のことば』という小さな連載コラムがある。
 今日、鷲田さんが取り上げたのは、吉本隆明さんの言葉。
           
 「何のために」人間は生きるかという問い……を拒否することが〈生きる〉ということの現実性だというだけです。(吉本隆明
 「何のために」と問う前に、人はすでに現実の内にどっぷり浸(つ)かっている。全体を見通せず、またたやすくは足を抜けない場所に立っている。人には泣く泣くせざるをえないこと、「なしくずしにずるずると」生きざるをえないこともあり、なぜそうなるのかを問うほうが先だと詩人・思想家は言う。「どこに思想の根拠をおくか」から。(鷲田清一

 これを読みながら、人は、目の前の、あるいは身近な回りの人達と「人と人との繋がりがどうなのか」というところから出発しなければならないと言っているのかなって思った。


◇『真田太平記(六)─家康東下─ 』を読み終わる
 NHK大河ドラマの『真田丸』も、次回放送(日曜日)は「犬伏」である。
 僕は現在、池波正太郎の『真田太平記』を、テレビドラマ放送の時の流れを同じくして読み進めている。
           
 この時代における、登場人物の複雑に交差している思惑が、テレビを観る時に、同時進行で読むことで理解しやすいという効果を味わっている。
 第六巻は、
 徳川家康豊臣秀頼に楯突くものだという名目で、上杉征伐に東下し、そのすきに石田三成が挙兵する。
 家康は上杉討伐を中止し、西へ舞い戻るという、関ヶ原の戦いの前段階だ。
 真田家においても、父・昌幸、長男・信幸、次男・幸村の3人が、「犬伏」で敵味方に分かれる決断をして、別々の道を歩み始める。
 それにしても、この池波正太郎の『真田太平記』は、読者を引きつけて読み続けさせる大きな要素に、草の者と呼ばれる忍びの者達の、スリルある超人的な活躍が描かれているからだと、つくづく思う。
 ちなみに、この文庫本、第六巻と第七巻は、ブックオフの100円コーナーで見つけた。