縄文時代が面白い

 僕たちが学んだ頃の縄文時代と、近年、考古学研究者が語る縄文時代は、大きくイメージが異なっている。
 僕たちの学んだ縄文文化のイメージは「未開」で、その後の弥生文化は「文明の開化・進展」のイメージといった価値観である。
 近年の発掘調査の結果、それが大きく覆って、縄文時代は「豊かな社会」であり、一万年以上も続いた「自然と共生」した「永続性の社会」だったと認識されてきている。
 そんな意味で、最近の縄文時代についての著書は、実に面白いというか、興味を持って読んでいる。
 先日も、新聞広告にちくま新書の新刊で、旭川市博物館長の瀬川拓郎さんが書かれた『アイヌと縄文』という本が紹介されていたので、読み始めた。
         
 表紙カバー裏の説明で「アイヌこそが縄文人の正当な末裔であることが、最近のさまざまな研究や調査で明らかになっている。平地人となることを拒否し、北海道という山中にとどまって縄文の習俗を最後まで守り通したアイヌの人びと、その文化を見ていけば、日本列島人の原郷の思想が明らかになるに違いない。」と、実の興味をそそられる記述である。
 まだ、ちょうど半分しか読んでないので、著者の瀬川さんがこの本で述べようとしている全体は掴んでないが、前半で縄文時代について述べている部分は、僕の興味を十分に惹きつける内容だ。
 「近年、これまでの縄文文化のイメージを覆す巨大な土木遺産が次々発見されています。」と、北海道各地で発掘調査された遺跡を紹介して、本書31Pでは「心の文明」と題して、次のように書いている。
 ちょっと長くなるが、僕が縄文文化に興味を持っている核心的記述なので、メモ代わりにここに転載させていただく。

 『では、縄文人はなぜこのような巨大な土木遺産を生み出したのでしょうか。
 これらの遺跡に共通するのは、聖域や祖霊を祀る場という、集団のための施設だったことです。首長の死を契機につくられた周堤墓は、縄文社会の階層化と深くかかわっていました。しかしそれは首長個人の墓ではなく、あくまでも共同墓地です。首長はこの共同墓地に組みこまれ、そこから浮上を許されない存在でした。
 縄文文化研究者の小杉康は、このような縄文文化の巨大な土木遺産が、「弥生文化以降に顕著になる、富の蓄積を背景とした権力や階級といった集団間・内の社会的な仕組みとは関係なく実現したところに、縄文文化の一つの特色を認めることができる」とのべています。
 つまり縄文文化の巨大な土木遺産は、古墳時代の首長墓である巨大な前方後円墓などとちがって、集団が集団のために生みだした遺産であるという点で、縄文文化としての特色を示すものなのです。そしてこの遺産が、聖域や祖霊を祀る場という祈りや心にかかわるものであった点こそ、本質的な意義を認めることができそうです。縄文文化は「心の文化」といえるものなのです。
 現代の私たちから見れば、巨大な土木遺産はある意味で過剰なムダ遣いであり、富の浪費や蕩尽といえなくもありません。そしてこの蕩尽は、富が特定の個人やグループに集中することをさまたげ、権力や階級を生成させない平等のシステムだったということもできるのです。縄文社会の祈りや心は、平等という価値とも深くむすびついたものだったとおもわれます。
 「心の文明」だからといって、縄文文化を賛美しようというつもりはありません。しかし日本列島の人類史の大半を占めた、平等という価値とむすびついた「心の文明」が、もし人間の本性に根差したものであったとすれば、私たちがそのことに気づく意味、つまり私たちは本来富や権力や階級といった非対称なものを忌避し、心の連帯をもとめる存在なのだと気づく意味は、現代の社会を相対化するうえでけっして小さくないのではないでしょうか。』(本書31〜32P)

 実にワクワクする考察ではないか。
 その縄文人のDNAが、少しでも、われわれ日本人に引き継がれているとしたら、人類にとって素晴らしいことではないかと思ってしまう。
 そんなことを思いながら、本書後半を読み始めている。