木内昇著『櫛挽道守(くしひきちもり)』を読んで

 江戸末期、維新に向かって社会が騒然としている時代。
 中山道の宿場町の一つ「藪原宿」で、櫛挽き職人の父の技「お六櫛づくり」に魅せられて、女はタブーとされていた櫛挽き職人となり、父の技をただひたすらに身につけようとする女性と、その家族の葛藤の物語だ。
             
 久々に、じっくりと読んだ。
 逆境や逆風に逆らうでもなく耐えながら、一筋に、自分のやりたいことをやり続ける、揺れ動く女性の心の内を描いた、なかなか読み応えのある小説だった。

 この小説に出てくる「お六櫛」は、長野県木曽郡木祖村薮原で生産される伝統工芸品なのだが、その技術が、このような生活の中で脈々と引き継がれていたということにも、読み終わったあとで、静かな感動を覚えてしまう。
 小説の詳しい内容は、読んでいただくとして、
 伝統技術を継承している職人としての心のあり方が、僕は心に残った。
 それを見事に表現している、櫛挽きでは神業とも言われる父・吾助の言葉が光る。
 「父さまも爺さまもおらと同じ格好で、同じ加減で櫛を挽いて生きたずら。おらは技を先代から借りとるんだ。だから次にそのまま繋がねばならんだに。それは誰にでも託せるものではないだに」と言って、娘・登瀬の父の技を習得したいという心情を察し、娘の幸せを考えない酷い父親だと非難されながらも、登瀬の縁談を断る。
 そして物語の後半では、老いて櫛挽くことも出来なくなった吾助の技継承を心配する妻に
 「おらの技はもう登瀬の内にあるで。すべて、登瀬の内にある。だで、登瀬が誰かにそれを授ければ、この技は必ず続いていくだに。おらはなんも案じとらん」と吾助は言う。

 物語の最後が、実にいい。
 胸を撫で下ろしてページを閉じることが出来る。
 成り行きで結婚して、違和感を抱いたまま子まで産んだ登瀬が、夫の本音をやっと知るのだ。
 「あんたはあんたの、わしはわしの櫛を挽く。これからずっとや。好敵手がこの板ノ間の中におらんと、わしがつまらんさけな。いてもらわな、困るんや」と言う夫の言葉に、登瀬はやっと夫と通じ合えたと思える。
 そして、仕事場の板ノ間の隣の部屋で臥せっている吾助は、
 「ええ拍子だ」「ここにいるとよく聞こえるだに。櫛挽く音が」「われやん夫婦の拍子はとてもええ。銘々の拍子だで、揃ってないだども、ふたつ合わさるとなんともきれいだ。こんねにきれいな拍子をおらは聞いたことがないだに」と呟くのだ。

 そしてこの小説で、著者は「居場所」というか「帰るべき場所」が、ある、見つけられる、ということが、人の幸せには大切な要素だということを、大きなテーマにしていることを感じた。


◇蛇足になるが、木曽の伝統工芸品の「お六櫛」について、ちょっと知りたくなっったので調べてみた。 
 中山道随一の難所といわれた「鳥居峠」の南に位置する薮原宿は、江戸時代には「中山道どまんなか」の宿場であり、東西の接点として、また飛騨街道の追分として交通の要所。 その薮原宿で「お六櫛」が作られるようになったのは、江戸時代の享保年間とされる。
 ずか10cmにも満たない幅に、およそ100本もの歯が挽かれたみねばりの小さな櫛は、江戸時代から中山道の名物、御嶽信仰善光寺参りの土産として全国に知られていた。
 現在でも、薮原宿を中心に作られているお六櫛は、実用品の櫛であるとともに長野県伝統工芸品として愛され続けている。
           
 一口に「お六櫛」と総称しているが、その種類は多岐にわたり、お六櫛はその用途と機能から大きく4種類に分けられる。
 この小説で、吾助や登瀬が挽くのは、梳き櫛といって、髪の垢、フケをとるなど、髪の汚れやホコリをとるために梳くのに用いる櫛だ。