11月3日「文化の日」のおしゃべり

 今日は11月3日、文化の日
 ちょっと肌寒さを感じる風も吹いているが、秋晴れのすがすがしい1日。
 道を歩いていたら、秋空に柿の実が輝いていた。収穫する人がだれもいないのだろうか。

     

 最近、ブログを書く頻度が落ちた。お風呂と夕食を済ませて部屋に戻ると、眠くなったりしてちょっとモチベーションが下がっている。
 それと、読書に集中力も下がって読みたい本も溜まっていたり、今週は日本シリーズがあったり、ブログまで何となく辿り着かない。
 まず、今週は何があったかな?と・・・。

 

◇日曜日はカワハラさん出演の合唱音楽会に行った
 我が家のカワハラさん、我が家では最高齢者とはいっても、まだまだ若い。
 ファーム町田店のレジもやれば、畑で作物も作って、毎日早朝に収穫してお店に出している。
 そして、地域の混声合唱団「アンサンブル歌織」にも入って、毎週土曜日の午後、練習に出掛けている。
 その発表会が日曜日の午後、橋本駅前の「杜のホールはしもと」であったので、何人かで行った。

     

     

 第1部の合唱組曲「四季」は今回が初演らしく30分はゆうに越す長い合唱曲。
 よく歌詞を覚えたなあと感心。確かにカワハラさんはいつもスマホで聞きながら必死に覚えようとしていた。
 第2部では、お馴染みの「翼をください」とか中島みゆきの「糸」「時代」なども。
 第3部は、混声合唱のための組曲として知られている「蔵王」。迫力があった。

 演奏中は残念ながら写真撮影禁止。カワハラさんの晴れ姿は紹介できないが、白いブレザーに赤い蝶ネクタイ。かっこよかった。背筋もピンと伸び年齢を感じさせない。良い趣味を持っている。
 退場するときにナイショでスマホのシャッターを。こんな会場での演奏会だった。

     

 

◇今週は、内山節・竹内静子著『思想としての労働―往復書簡』を読む
 先日、映画監督の小栗康平さんが、監督の代表作『眠る男』から『埋もれ木』までの10年間に、新聞や雑誌に書いた文章をまとめたエッセイ集『時間をほどく』を読んだのだが、その中に、哲学者の内山節さんと親交が深く意見を交流していることが書かれていた。
 小栗監督の映画を紹介してくれたツカヤマさんも内山節さんに触れていたし、春日山実顕地のサガワさんからも「ネットで2人の往復書簡が読めるよ」と教えてもらったので、早速、読んでみた。
 小栗康平・内山 節の往復書簡』

     

   https://oguri-uchiyama.blogspot.com/
 この、ネット上でブログを使っての往復書簡も、現代社会の問題に触れ刺激的な内容であったが、その冒頭で小栗監督が、内山節さんと労働社会学者の竹内静子さんの『思想としての労働―往復書簡』に触れ、「近代的な個人としてとらえようとしてきた私たち自身を、さまざまな関係性のなかでもう一度とらえなおそうとする考え方が一貫していて、共感を覚えます。労働の過程そのものに蓄積されてきた技術の受け継ぎという関係、あるいは自然の循環に位置づけられる人間の関係性、古いものとして切り捨ててきた共同体の見直し、地域の新しい考え方などなど、どれも魅力にあふれるものです。」と書かれていたのを読んで、それも読みたくなってメルカリで入手(最近は古本はメルカリ利用が多くなった)。

  内山節・竹内静子『思想としての労働―往復書簡』

     

 25年ほど前に農文協から人間選書として刊行されたものだが、内容は、近代以降の労働のあり方が、人々の精神のあり方をも変化させた。それは地域と生活に結びついた相互性、関連生、共同性を伴っていた労働が、市場経済的価値のみを重要視した労働となり、多様性のある非市場経済的な労働の荒廃をもたらした。それは、そこに生きるひとびとを、繋がりのない個人へと解体でもあった。等などその過程を考察して、現在社会の問題点を指摘し、労働の創造性と他者との相互性という基礎を回復、構築しようと提言する、25年前に刊行されたとは思えない、現在社会に通じる示唆に富んだものであった。

 

◇「なかよし花壇」の花の更新時期
 6月末に定植して、夏の間、見事に咲いていた草花。

     

 いよいよ今月末には、来年の春に咲く花への更新時期。
 まだまだ咲いているのもあって、もったいな・・・と思ったが、水曜日の夕方、タケイさんと僕で、一気に抜いて、来年春に咲く花の定植準備作業をした。

     

     

     



  

10月の最終土曜日のおしゃべり

 10月も、もう3日で終わり。
 今年の「立冬」は11月7日だから、暦の上ではもうすぐ冬の始まりなのだ。
 半袖衣服がまだロッカーにかかっている。つい先日まで「暑い、暑い」と言っていた。
 駐車場に脇の花壇には、見事にコスモスが咲いている
 「秋桜」と書いて「コスモス」と読ませて大ヒットした歌を作ったのは、先日亡くなった谷村新司だったかな? いや、違う、「秋桜」はさだまさしだ。
 そんな事を考えながら、我が家の今年の「秋桜」をスマホに収めた。

    

    

    


◇土曜日のファーム町田店
 「もう、次の土曜日は11月だよね。10月最後の土曜日、楽しくやろうよ。」との岡部実顕地のミチヨさんから連絡をもらって、28日の土曜日は、ファーム町田店外の「味わい広場」で、「豚串の炭火焼き」と「ネギ焼き」のお店を、岡部実顕地を5時半に出発して車で駆けつけてくれたミチヨさんとチエコさんと僕の3人で開店。
 豚串は先週もやったが、「ネギ焼き」は暫くぶり。
 天気も上々。お客さんと対面しながら、楽しくやった。

    

    

    


 お店の中には、三重県の美里実顕地から、新米で作った「お餅」が届いた。

    

 和歌山県の六川実顕地からは、今年初めて「みかん」が届く。

    

 

◇夜は桜美林大学

 今年は遠藤周作生誕100年だという。遠藤周作は1964年(41歳)から1986年まで町田に住んでいた。
 そんなことで、桜美林大学と町田市民文学館のプロデュースで「合唱物語・沈黙の声」という音楽会が、昨夜、桜美林大学の芸術文化ホール内にあるプロビデンスホールであった。

    

 パイプオルガンやピアノの演奏と合唱やソロ、ダンス、語りなどで、遠藤周作の生涯と作品テーマを劇とした音楽会だった。
 満足、満足の音楽会だった。

 

 我が家から徒歩で30分ほどのところだったので、帰りもきれいなお月様を見ながら歩く。

    

 

ポーラ・アンダーウッド著『一万年の旅路』の読後余韻に浸っている

 この書籍『一万年の旅路 ネイティヴ・アメリカンの口承史』が刊行されたのは25年前。

 500ページを超える分厚い本だ。
 読み出したのは1ヵ月前、途中で小栗康平監督の映画に出会ったこともあって、それ関連の本を読んだりして中断のときもあったが、先週、やっと読み終わった。

     

 北アメリカの先住民であるネイティブ・アメリカンのイロコイ族の成り立ちの物語だ。
 著者は、イロコイ族の系譜をひく女性。一万年間語り継がれた一族の大いなる旅路を、書籍にまとめたものなのだ。
 イロコイ族は記述ではなく口承で、脈々とその歴史と、その時々に得た知恵を継承してきた。
 物語ははるか一万年以上も前、アフリカ大陸からアジア大陸を旅し、その間に如何にして衣服を身につけ、数々の困難を乗り越えて、辿り着いたアジア大陸東沿岸。
 その一族が長らく定住していたアジアの地で、噴火や地震、大津波に遭遇して、子々孫々の幸せのために、ベーリング陸橋を超え北米大陸にわたり、カボチャやトウモロコシなどを発見しながら、五大湖のほとりに永住の地を見つけるまでの出来事が緻密に描写されている。

     

 凄い民族がいたと感動の連続で、知的興味の刺激連続の書籍である。
 その一万年の旅の出来事一つ一つに対応する彼らの姿と知恵に感動するのだが、特に僕は、彼らが言う「節度ある話し合いの知恵」が、僕らが現在やっている「研鑽方式による知恵の積み重ね」と同じことではないか、それが重要なキーワードとなって継承され、その知恵と実践が、民主主義の一つの原点としてアメリカ建国、国際連盟国際連合にも影響を与えたと言われている点に注目して付箋を付けながら読んだ。

 それは彼らが、重要な事項を決定する際は、全員か納得するまて話し合う。そこで彼らが、何より優先して考えなけれはならないことは、現世代のことではなく、これから生まれ来る世代が、自分たちより悪い環境で暮らすことがないよう、心を配り決定を下す。
 彼らは、子々孫々の世代のことを「子どもたちの子どもたちの子どもたちが…」と表現して、その世代が幸せに暮らせる永住の地を求めての壮大な旅の物語なのである。

 いま、読みながら付箋をしたページを重点的に読み返しながら、その余韻に浸っている。
 付箋をした箇所すべてを記すことは出来ないが、例えば、その何カ所かをここに記すとすれば、次のような示唆に富んだ内容である。

◇本書92ページ
 ある者が言う。
 「めまぐるしく変わる状況を一つの年のめぐり以上歩き通したら、同じやり方を続けることにこだわっていられなくなるさ。〈大いなる乾き〉を歩いたと思えば、すぐ水また水でびしょ濡れになったんでは、水を節約するのがいいのか、捨てるのがいいのか決めかねる。それよりむしろ」
 男は続けた。
 「変わろうとすることじたいを大切にするべきではあるまいか。変わろうとしない者たちこそ、われらのうしろでじっと大地に横たわるのではあるまいか」
 これには多くの者たちが同感だと語った。そのあと、別な者がこう答えた。
 「けれど、一族がけっして変わらなかった点もあります。ほかでもない」
 その女は続けた。
 「この〈大いなる島〉へ歩き、そこで安住の地を見つけるという、私たちの変わらぬ目的がそれだったのではありませんか。子どもたちの子どもたちの子どもたちが、私たちの日々の暮らしぶりを喜びとすることができるように―」
 これにもまた、一族は共感で応えた。こうして彼らは、団結の源が目的意識の中にあると考えるようになった。そして道の本質が多様性をもたらすのだ、と。彼らはまた理解した。多くの道が同じ目的地につながり、それらの道どうしのあいだには、互いに学び合えることがたくさんあるのだ─、と。
 そのいっぽうで、目的というものがなければ、彼らはたんなるさすらいの民になりかねなかった。さまよう〈大いなる群れ〉を追って生きる、いくつかの民のように─。一族には、自分たち自身の道を選ぶことのほうが好ましく思えた。
 こうして、〈大地が雪に埋もれる〉この季節、たくさんの学びが積み重ねられた。焚火を囲んで座る時間が、新しい探索を心ゆくまで分かち合う機会になったからだ。

◇本書131ページ
 そして、中央の輪は一族全体を養うものと考えられた。いっぽう、それを取り巻く四つの輪は個々の成長を助け、それが中央の輪にもどると、翻(ひるがえ)って一族全体を益するものと考えられた。
 さらに、理解はつねに二つの輪を歩むことで育つとされた。一つめは、一族全体がたえず一定の方向に歩む輪。二つめは、〈中央の輪〉から遠心力で飛び出すかのように、一人ひとりが自分の必要に応じて歩む輪。したがってこれは回転の方向が反対で、一めぐりのあと各自をもう一度〈中央の輪〉に合流させた。
 そして一族は長いあいだ、自分たちの理解の証として大地の上にこのような文様を描き続けた。
 各自の必要、全体の必要が、それぞれにふさわしく一定の方向に歩まれ、一つひとつの輪が別の輪に流れ込む。全体と個が休みなく〈一族の輪〉を踊り、〈内なる成長の輪〉を踊れるように─。
 だからこそ、あなたと私も今日、大地がふたたび成長の光に向かう〈季節のめぐり〉において、たえざる二重の輪を歩むのである。ならば、それを続けようではないか。子どもたちの子どもたちが、この知恵を学べるように─。

◇本書500ページ(節度ある話し合いが今でも続けられていると著者は記す)
 合意(コンセンサス)形成のゆっくりとしたプロセスも同じ道筋をたどり、話し合いのあらゆる参加者から、すべての知恵と考え方と理解をたんねんに拾い集めていく。「たくさんの人びとが一緒に知恵を探る」というのが話し合いのあるべき姿だろう。
 合意形成の仕上げは、だれもが実行できる決定(複数の場合もある)を見いだすこと、つまり一族全員を包み込む輪を見いだすことだ。一族の一人ひとりは、しばしばその輪の外へ踏み出すことがあるという了解があって、それが個人の自由意志を保証していたが、〈一族の輪〉とは、いかにしてともに暮らすかに関するおおまかな同意として全員を束ねるものだった。〝大地の輪〟は、自分を理解し、自分と共同体との関係を理解するために、これを目に見える形で実践する方法だが、いまなおにぎやかに行なわれて新しい学びをもたらしている。

◇本書501ページ(著者に父親から伝えられた一部)
 これには思考の一致と行為の一致とが含まれる。「独りではできないことでも、大勢ならできるかもしれない。たとえその大勢が、一人ひとりは力足らずでも」、「独りでは不可能なことも、大勢なら可能になる」――このテーマがさまざまに形を変えてくり返されている。
 父がとくに力を入れて私に理解させようとしたのは、〈海辺の渡り〉(ベーリング陸橋渡り)にさいして「一族全体をつなぐ」綱を縒(よ)るプロセスだった。その発想が、孤立した個人からはけっして出てこないものであることを、根気よく私に納得させようとしたのだ。
 「こういう目的は、たくさんの手があってはじめてなしとげられるものなんだよ」
 父はそう指摘した。そうして一族は、だれも想像できなかったほど長い綱を、想像よりずっと短い時間で縒ることができたのである。〈海辺の渡り〉ではそれを、一人ひとりの力が発揮され、同時に全体とつながってほかの全員を守るような形で使ったのだが、その学びの大きさについて父は次のように語った。
 「その日以来、一族は生まれ変わった。目的意識が〈大いなる綱〉となってわれらを結びつけ、どんな状況の変化も乗り越えられるようになったのだ」

 

 本書『一万年の旅路 ネイティヴ・アメリカンの口承史』には、このような示唆に富んだ記述が満載なのである。

「町田時代祭り」Photo

 昨夜、TVニュースを見ていたら「京都の京都三大祭のひとつ時代祭が盛大に行われました」と、千余年の各時代の衣裳をまとった時代風俗行列の映像が流れていた。


 実は、我が町・町田でも15年前程から「町田時代祭り」というのを町田市の秋の行事のひとつとしてやっていて、京都の「時代祭」と同じ、昨日の日曜日だった。

 町田は、鎌倉幕府の置かれた鎌倉と、武蔵の国府である府中を結ぶ鎌倉街道」が縦貫していることで、鎌倉幕府の有力な御家人がいたり、各地にいろいろと歴史的興味のある話が残っている。
 さらに、我が家から車で15分ほどの小野路というところは、新選組に縁が深く近藤勇土方歳三沖田総司らが、新選組結成以前に剣術の出稽古にきて指南した神社もあり、近藤勇の率いる甲陽鎮撫隊の援軍として出陣した小野路農兵隊もあったし、明治初期には自由民権運動が盛んな土地柄でもある。

 そんな町田の歴史に想いを馳せるということで、毎年秋に「時代祭り」をしている。

    

 町田駅近くの商店街を武者行列、そして芹が谷公園では流鏑馬古武術演武、砲術などの実演をしている。
 10年程前に、モンゴルからの留学生・ダワー君を案内して見たことがあるのだが、それ以降は、開催当日何かと用事があったり、コロナ禍で中止になったりで、ゆっくりと見ていない。

 

 昨日は天気も申し分ない。秋晴れだった。
 朝7時からのファーム町田店の開店準備と、精肉でのパッキング作業を10時過ぎに終わって、11時からの武者行列スタートに間に合うように急いで行ってみた。
 そのPhotoをアップする。

    

    

 馬上の大将は市長が扮していた。

    

    

    

    

    

    

 芹が谷公園での実演。

    

  火縄銃の音と煙が凄い。

    

    

 流鏑馬の実演がメイン。

    

    

    

    

 

 芹が谷公園から町田駅までの途中に「町田市立文学館」がある。

 今年は、遠藤周作・生誕100年ということで作品展と「文学館まつり」をやっていて、そちらも賑やかだった。

    

    

先週・今週のファーム町田店の味わい広場

 ファーム町田店の店外「味わい広場」は、先週と今週の土曜日は天気にも恵まれて賑わった。

 

◇先週の土曜日
 長野県のヤマギシの村・飯田実顕地からヨシコさんが、リンゴを車に積んで来てくれて、お店の入り口で産地直送リンゴの販売

                

 さすが、ヨシコさんだ。ヨシコさんのお薦めに、お客さんがついつい買ってくれる。

 埼玉県のヤマギシの村・岡部実顕地からは、ミチヨさんとチエコさんが来てくれて、チエコさんは、ヨシコさんのリンゴ販売をサポート。ミチヨさんは、コンテナハウスで新米おにぎりとみそ汁のお店

               

 僕とミドリさんは、豚串の炭火焼きのお店

                

 近くの幼稚園で運動会があって、昼時には運動会帰りの家族ずれで大賑わい。
 新米おにぎりも豚串も、予想以上の人気で1時には完売だった。

 

◇今日の土曜日
 埼玉県のヤマギシの村・岡部実顕地のミチヨさんは、昨夜から来てくれて豚串の仕込みをして、今日は豚串の炭火焼きのお店をしてくれた。

                

 そんなことで、僕は焼き鳥のお店を担当。

                

 

◇「もったいない市」も開催
 妻たちが地域でデイサービスをしている隣に、妻たちの仲間が子ども食堂を開設することになったらしく、協力する有志から集まった食器類で使わないものを、開設資金の一部にするために、ファーム町田店の一角でバザーをしたいという。
 お店の名前は「もったいない市」
 「お金は二の次、あまった食器を有効活用したいのよ」というので協力。
 「もったいない市」の趣旨を貼って、食器やコップなどを並べた。

               

 お店に来たお客さんが、見て気に入ったものを、100円「お金箱」に自分で入れて持ち帰ってもらうシステム。
 中には「カンパも一緒に入れとくね」と言ってくれる人もいて、なかなかの賑わい。

四国お遍路の体験を東京でする

 机の上の書類箱を整理していたら1年前の新聞が出てきた。
 「東京にこんなお寺があるのか? ちょっと行ってみたいな」と思って、抜き取っていた新聞の紙面だ。

                

 四国お遍路は興味があるけれども、実際に行ってみようとまでにはならない。
 お遍路が体験出来るのならと思い立って、渋谷に出掛けたついでに寄ってみた。
 そう言えば、萩原朔太郎の詩にふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し/せめては・・・」。そんなのがあったな、と思いながら、東急線二子玉川駅で降りた。
 二子玉川駅を降りて、商店街と住宅街を15分ほど歩くと、めざす「玉真密院(玉川大師)」があった。

                

 ここに「地下5mの深さに長さ100mにもおよぶ地下仏殿がある」と記事に紹介されている。
 それは、このお寺の初代住職が17回目の四国八十八ヶ所巡礼をしたときに、夢の中で弘法大師空海から霊場を訪れることのできない人たちが御利益を得られる場所を作りなさい」とお告げを受けて、大正時代に作った四国八十八ヶ所西国三十三所の石仏300体以上を祀る地下のお遍路体験の場所なのだ。

                

 本殿に入って、地下お遍路に入る前に説明を受けて、生まれた年を聞かれ、「数え年と同じ番号の石仏が、ご自分の守り本尊になるので特に願い事をお祈りしてください」といわれて、地下に入る。
 入った途端、真っ暗。
 「暗い通路、曲がりくねった通路は、四国巡礼の難所と思ってください」と説明されたので、真っ暗な通路をなんとか壁伝いに進むと、石仏が並んでいた。
 撮影は禁止なので撮すことは出来なかったが、確かに凄い。いろいろな表情の石仏が鎮座していた。(上掲載の新聞写真参照)
 石仏を拝みながら、やっと僕の数え年の石仏を探す。

 道中3カ所暗い難所を通り、最後に「満願の鐘」を鳴らして地上へ。
  

 本殿の外にも、弘法大師などの像が何体も鎮座している。

                

 その中には「ぼけ封じ観世音菩薩」もあった。

                

 そして、「インド伝来・長寿の銅鑼」を打たせていただき帰ってきた。

                

    なかなかの貴重な体験だった。

 

小栗康平監督のエッセイ集『時間をほどく』を読む

 小栗康平監督の映画を『死の棘』『眠る男』『埋もれ木』と続けて観た。
 小栗康平という監督は、映画という画像表現で何を現そうとしているのか、小栗康平の世界に、もう少し入りたいと思って、この映画を紹介してくれた友人・ツカヤマさんからいただいていた書籍数冊の中から、2006年に刊行された『時間をほどく』というエッセイ集を選んで読んでみた。

                

  『眠る男』から『埋もれ木』までの10年間に新聞や雑誌に書いた文章をまとめたものであるが、高校三年の2月に「一時も早く郷里を、父のもとを、離れた」くて東京に出てきた時から、助監督時代、そして監督としてデビュー作『泥の河』から『埋もれ木』までに考えたこと、それらを制作している中でシーンひとつ一つにどのような思いを込めて画像として表現したか、そして最後には「『埋もれ木』撮影日誌」が収録されている。

 言葉に頼らない「感覚」、いのちの最も根本に関するイメージ、作為的でなく、自然も人間も、それぞれの異なる時間の交わり織りなす中で、ゆっくりと日常的に生まれる物語。それらの表現を映画として、どのように追求してきたかが書かれているように僕は受け止めた。

 読みながら僕が書き留めた中に、このような小栗監督の言葉があったので、ここにも記しておく。
◇本書214ページでは「人間が感覚の動物である」ことを再確認したいと書く。
 当たり前のことだけれど、私たちの人生は幼児期の体験から「世界」を学ぶ。野に出て、山に入り、木に登って、花を折り、虫を殺していのちを知ったのだ。ここにあるのは人間の社会ではない。生きものという多種多様ないのちの広がりの中で、まずはいのちとしての「私」を作る。社会などというものは、それから後のことだ。残念なことに、今はここがショート・カ ットされて、子供たちはいきなり社会に出会う。物理的にはそんなことは不可能なはずなのに、バーチャルな世界がそれを成立させてしまう。
 映画はそのバーチャルな表現によって作られている。だからこそ映画は、画像を通じて人間が感覚の動物であることを再発見することに意味があるはずなのだけれど、ここがなんというか、戻ってこられない。戻らずに、そのままただ遊ぶだけの映画ばかりがふえている。

◇本書246ページでは「現代社会の問題点」について
 「埋もれ木」の試写から公開まで、私はどれだけの人からいわれただろうか。今のお客さんはとにかく分かりやすくないと来ませんから、と。ときにはこんな時代によくまあ、こんな映画と非難がましくささやく声もあった。そうだろうか。こんな時代だから作る。
 バブル経済の崩壊後、日本社会は結果の処理を早急に求めるようになった。いち早く決められた公的資金の投入、いわれるところの構造改革、どこをとっても一見、分かりやすそうに見えるだけの対症療法ばかりである。壊れてしまったコップはその破片を拾ってでも、とにもかくにも復元しなくてはとやっきになった。そのコップはもともと必要だったのか、あるいはもっと別な器があったのではないか、そうした問いが発せられたことはなかった。