「まちだサステナビリティフェス」で「竹灯り」が飾られている

 現在、町田市は「第4回まちだサステナビリティ(持続可能性)フェス」の開催中だ。
 その企画の中に、「町田マルイ」のショーウインドーと、「町田モディ」4階イベント広場に、妻たちが認知症の人達と活動している「HATARAKU認知症ネットワーク町田」が、町田市の放置竹林の再生作業の一環で作った「竹灯り」が飾られている。

 

◇「町田マルイ」のショーウインドー
 場所は、JR町田駅小田急町田駅の連絡通路に面したショーウインドー。

     

     

 人通りがかなり多い。立ち止まって見ていく人も多い。

     

 昨夜の夜、駅に着く電車の具合で、ちょっとだけ人混みが途絶えた瞬間に、撮したPhoto だ。

     

     

     

     

     

     

     

 ちなみにバックの竹林の写真は「マルイの担当の人が、明日の夕方までに竹林の写真が欲しいと言っているのよ」と妻から夜中に言われて、翌日早朝、蚊に刺されながら僕が撮したものだ。

 

◇「町田モディ」4階イベント広場

     

 こちらでは、今週の土曜日と日曜日に、「竹とうろうの色付けワークショップ」を企画しているのだ。

     

     

     

 飾られている「竹灯り」を子供達が思い思いの色づけをして持ち帰ってもらうのだという。

     

     

 竹林再生作業しながら作業したり、子供達が遊んでいる写真も展示。

     

     

     

     

     

 

◇「竹灯り」づくり
 先週、妻の要請で市のリサイクルショップから本棚を運んで、妻達が運営しているデイサービスに行ったとき、この企画に出品する「竹灯」を作っていた。
 作っているのは認知症の人、引きこもりの若者、その人達をサポートしている人、近所の人も応援に来てくれて・・・

     

     

 竹にドリルで穴を開け、その後できれいに皮をグラインダーで削って、完成させる。

     

     

 僕も、その時、2本ほど作らせてもらった。

9月第1日曜日のおしゃべり

 沖縄付近の大型台風の影響が関東まで及んでいて、ハッキリしないムシムシ暑い天気が続いている。

 

◇会の機関誌「けんさん」9月号作成中
 先週初めから集まってきた投稿原稿の編集作業に傾注して、ファーム町田店の休みの木曜日と金曜日は事務所で一日中、パソコンとにらめっこの編集作業だった。
 今号は、8月のお盆の時期に埼玉県のヤマギシの村で開催された1週間の合宿セミナー「特講」特集で、受講した人、そこに送り出した人の感想など、予想以上に集まって、編集者としては嬉しい悲鳴。
 金曜日の夕方にほぼ編集と写真整理も終わって、紙面作りを担当してくれている九州のヒデコさんにデータを送信。
 昨日の午後、ヒデコさんから「8ページになかなか収まらない」とラフなレイアウト紙面が送られてきた。
 さてさてどうするか、と全部の記事を見直して、昨夜、一つの記事を執筆者に了解をもらって300字程度短く編集し直しをした。

    

 今朝からは、ヒデコさんが紙面作りに奮闘中だ。

 

◇久々に「蚕(カイコ)」をみる
 我が家から車で10分ほどの所に、江戸時代には鎌倉街道大山街道)の宿場町として栄えた小野路というところがある。
 そこに「若者から年配者まで多世代が交流するコミュティ・スペース」として、昨年出来た「ヨリドコ小野路宿」という施設がある。

    

 庭では、子供達が竹細工をして「竹灯り」を作っていた。

    

 庭の奥にある昔は蔵だったところで蚕を飼っている。
 昨日、妻の用事があって寄ったときに「今年は、蚕に挑戦中なんですよ」と聞いたのだが、時間がなく見ることが出来なかったので、今日の昼下がり、改めて見学させてもらった。
 昔、子どもの頃に友だちの家でも蚕をやっていた。
 その家では天井裏に蚕を飼っていたのだが、遊びに行くとガサガサ、ガサガサという蚕が桑の葉を蝕む音が絶えず聞こえていたことを思い出したので「蚕ってどんな虫だったかな?」と見たくなったのだ。

    

    

 この蚕は家畜昆虫といって蛾(ガ)の一種で、翅はなく飛ぶことができないが、蛹(さなぎ)になる過程で繭を作る。この繭から糸ができることに注目した人が品種改良を重ねた結果、エサである桑の葉も人が与えないと生きていけない家畜昆虫となったらしい。
 蚕が作る繭1個からは約1,500mもの長さの糸をとることができるという凄い昆虫なのだ。

    

 蚕(カイコ)の一生はおよそ2ヵ月。卵から幼虫、さなぎ、成虫へと変わる。ふ化した幼虫は桑の葉を食べて大きくなり、5回の脱皮を繰り返すと説明してくれた。
 今日のところは、まだまだ小さいが、これから大きくなるのだろう。また見に来ようと思った。

 

◇先日ブログに書いた「酔芙蓉」の花
 先日、「風の盆恋歌」の小説のことと、「酔芙蓉」について書いたが、その時は咲き出したばかりの酔芙蓉だったが、その道を今日の2時頃に通ったら、花がいっぱい咲いて見事だったので、思わずシャッターを切る。

    

    

    

 今朝は白だったのだろうが、ピンクに色づいていた。

 

◇我が家には3色のサルスベリ(百日紅)があった

    

 名称「百日紅」の名のとおり、初夏から秋までの長い間鮮やかな紅色やピンク、白などの花を咲かせる花木なのだ。
 我が家の植木に、3色とも並んであることを始めて知った。

 

◇「なかよし花壇」が最高
 ファーム町田店の駐車場脇の「なかよし花壇」。
 今が最高の花見時期。

    

    

    

    

 この花壇は、町田市の「花壇コンクール」に参加しているので、先週、その審査のために係の人が写真を撮っていった。
 さてさて、今年はどんな審査結果が出るか。

短編映画『Bagmati River バグマティ リバー』を観る

 月曜日の昼下がり、昔、同僚だったキシ夫妻が「息子の健太朗たちが創った映画が、新宿でやっているのよ。今週いっぱいなのでパンフレットを持って来たの」と、新宿の「K's cinema」で上映中の短編映画『Bagmati River バグマティ リバー』の案内のために訪ねて来てくれた。

                

 この短編映画、2018年にエベレストの単独無酸素登頂を目指すも、滑落死した登山家・栗城史多の追悼作品だという。
 元同僚の息子・岸健太朗さんは、この時、栗城史多の挑戦記録のドキュメンタリー映画撮影のために撮影監督として同行していたという。
 そんなことで、岸健太朗さんはこの松本優作監督の『Bagmati River バグマティ リバー』でも、脚本と撮影にかかわっている。


 火曜日の上映後には、有名な登山家の野口健さんも来てトークショーがあるというので、仕事のやり繰りをして新宿に出掛けた。

 短編映画の内容は、亡くなった登山家・栗城史多さんのドキュメンタリーではなく、行方不明になった登山家の妹が、写真を頼りに兄の消息を求めてネパールに行くというストーリー。
 もう少し詳しく記すと、
 妹のもとに差出人不明の絵はがきが届く。エベレストの風景が描かれていることから、彼女は差出人が2年前にエベレストで行方不明になった兄なのではないかと感じる。その安否を確かめようと、東京から兄を捜しにネパールへと向かう。
 兄の足取りをたどる彼女だが、10年間も会っていなかった兄のことを何も知らないことに気づく。彼女は兄を知っているというシェルパに会いにエベレストに向かうが、登山中に倒れてしまう。そんな彼女を、兄をサポートしていたシェルパが助け出会う。
 病院から戻った彼女は、シェルパに「あなたの見て欲しい場所がある」とガンジス川に合流する河川バグマティリバーに案内される。川岸にはネパール最大のヒンドゥー教寺院パシュパティナート(火葬場)が建っていた。バクマティリバー岸で燃えていく死者の姿を見ながら、シェルパの「ここの水はエベレストから流れてくる。エベレストでも飲まれて、ここでも人々に飲まれている」(詳しくは覚えていないが、このような言葉)を聞きながら、生と死の境界を感じながら兄の死を受け入れる。
                 

    こんな29分の短編映画だった。

 

 上映後は、登山家の野口健さんと、監督の松本優作さんと岸健太朗さんのトーク

               

 野口健さんは、栗城史多さんと偶然にエベレスト滞在していて会って、言葉を交わした後に登頂を目指している彼の後ろ姿に、何か予感を感じてシャッターを押すことが出来なかった心境と、栗城史多さんがどのような登山家だったのか、命を失ってまでなぜ彼は、無謀とも言える最難関ルートの単独無酸素登頂を目指したのかなどなどを、松本優作さんと岸健太朗さんの登頂挑戦前の彼の様子などとともに語られていた。
 栗城史多さんは2012年秋にエベレスト西稜で両手・両足・鼻が重度の凍傷になり、手の指9本の大部分を失っていて、この挑戦は8度目だったという。
 映画のきれいなエベレストの映像も心に残ったが、何を求めて登山家は登頂にこだわるのか、考えさせられる内容だった。

               

 野口さんの「20代の若かったときには、俺は絶対に死なないという自信みたいのがあって、死は遠かったけれど、この年になると、雪渓を登っているときの自分の陰の中に、死の世界みたいなものを感じて、生と死が身近に感じる」というようなことを言っていたのが、心に残っている。

    監督の松本優作さん

               

    監督と共に脚本と、撮影を担当した岸健太郎さん

               

               

  

               

 

「酔芙蓉」と髙橋治著『風の盆恋歌』のおしゃべり

 今年もこの時期、僕が時々、健康維持のために歩く道の、我が家から15分ほどの小さな神社の入り口脇にある「酔芙蓉」の花が咲き出した。
 毎年、この「粋芙蓉」については書いているのだけれど、今年も書きたくなったのでおしゃべりする。

               

               

    この「酔芙蓉の花」
 僕はこの花に出会うと、髙橋治さんの小説『風の盆恋歌を思い出す。かなり以前に読んだ小説だが、なぜか本箱の片隅に整理されずにあり続ける文庫本で、この花を見ると再読したくなる。
 小説の中に「酔芙蓉」についてのこんな会話がある。
スイフヨウが好きですか」
スイフヨウ?」
「あの花です」「酔う芙蓉と書きます」
「妙な花ですね。私がついた時と出て来る時と、全く色が違ってました」
「だから酔芙蓉なのです」「朝の中は白いのですが、昼下がりから酔い始めたように色づいて、夕暮れにはすっかり赤くなります。それを昔の人は酒の酔いになぞらえたのでしょう」
「それは、また、粋な」「で、酔った挙句がどうなります」
「散りますな」
「酔って散るのですか」 
「一日きりの命の花です」

  この小説の中年男女の恋物語ストーリーと、「酔芙蓉の花」の一日かぎりの命とが、小説の舞台となっている9月1日~3日までの越中八尾の「風の盆」とともに、強烈につまでも僕の心に残っているのだ。

 

◇今年の「酔芙蓉の花」
 朝7時ちょっと過ぎ。

               

               

               

 昨日咲いて酔いつぶれた花も隠れるように残っている。

               

 午後2時少し前。ピンクに色づき咲いている。

              

              

              

 夕方、陽が沈む6時ごろ、花はみんな酔いつぶれた姿に。

              

              

              

 

◇もう少し髙橋治さんの小説『風の盆恋歌』についても記しておこう。

                     

 昔の恋人と偶然パリで再会し、互いの想いを知り、富山県八尾の「風の盆」の3日間だけ逢瀬を重ねるために主人公が古家を買い、地元の老婆に管理を任せ、彼女が来るのを待つ。1年目は来ず、2年目も来ない。3年目に「今年は必ず参ります」というメッセージを、手紙や電話ではなく、酔芙蓉に託して玄関脇に植えられて、待ち人がやってくる。
 高橋治さんの情景描写の巧みさに引き込まれながら、単なる中高年男女の切ない不倫物語ではなく、八尾の「風の盆」と「芙蓉の花」が印象に残る小説なのだ。

 文庫本の解説に加藤登紀子さんは、
「風の盆の幽玄の美ともいえる、陶酔的な美しさもくりかえし語られ、その音を耳に聞くことは出来ないけれど、かすかにどこからか聞こえているような気にさせられる。/この小説は男と女の恋という形をとってはいるけれど、実は、風の盆を描きたといいう著者の狂おしいほどの情熱によって書かれたものだと思う。」と書いている。

 確かに、読み終わっても、中年男女の不倫物語を読んだというよりは、年に一度、八尾の町で3日間繰り広げられる「風の盆の幽玄な世界」の方が強く心に残る。
 著者の髙橋治さんは、この恋物語を描くにあたって、巧みな情景描写で「風の盆」を描き切り、また、一日限りの命の「酔芙蓉の花」も、そのための効果素材にして物語の展開に織り込んでいる。
 そんな意味でこの小説は、単なる恋物語ではなく、富山県八尾で年に一度繰り広げられている「民謡越中八尾おわら風の盆」と、そこに息づく風土、それを継承している人たちを、巧み筆力描写で描いた名作と言えるだろう。

                        

                       (この写真はネットから借用)

8月26日のおしゃべり

 昨日も今日も気温も30度を超えることなく、比較的過ごしやすい。
 暑い、暑いといっていたが、お盆を過ぎて、もうすぐ9月だから秋が近づいている感じ。
 
◇会の機関誌「けんさん」9月上旬に発行したいと思って記事構成を思案中
 夏の1週間の合宿セミナー「特講」が、先週末に終わって、各地で受講した人達を囲んでの研鑽会がもたれている。
 受講者の感想と、各地域での受講者を囲んでの動きの様子を、機関誌「けんさん」に特集しようと思って、現在、原稿を集めている。
 
◇昨日の朝と今日の朝はちょっと農作業
 木曜日と金曜日はファーム町田店が休みのために開店準備作業がない。
 曇りがちで暑さもほどほどなので、前々から妻に要請されていた、妻達が耕作している畑周りの草刈りを早朝にする。

               

 7月の始めに刈ったと思うが、雑草の伸びはホント凄まじい。

               

 畑周りの草刈りをしたら、畑の中の雑草も気になって、今朝も1時間ほど草引きをしてしまった。

               


今日の花Photo


その1・オクラの花
 いつも思うのだが、畑に植わっているオクラの花がきれいだ。
 「どうして、こんなにきれいな花なのだろう?」と思うくらい気品豊かな花だ。

               

 この花は一日花で、咲いた花は一日でしぼんで落ちる。その後の実は刻むとネバネバ。このネバネバが整腸作用やコレステロール値を低下させるなど、ビタミン、ミネラルも豊富で体の免疫力を高めてくれるらしい。
 花言葉『恋で身が細る』は、大きく美しく咲いた花が、花後にスラリとした細い実に姿を変えることからイメージして付けられたそうだ。
 
その2・ノウゼンカズラ
 畑の入り口にノウゼンンカツラが見事に咲いている。
 この盛夏の時季、ノウゼンカツラは街中でもよく目につく。

               

 この花も僕は好きだ。

               

  英名は、ラッパに似た花の形から「トランペットヴァイン(Trumpet vine)」や「トランペットクリーパー(Trumpet creeper)」と呼ばれいるという。

 

その3・デュランタ
 僕が仕事をしている案内所前に、ヨシコさんが鉢植えを並べてくれた中に、デュランタというのがある。
 かわいらしい、紫の小さな花が咲き出した。

              

              

 この素敵なかわいらしいは花の「花言葉」は何だろうと調べてみたら、『あなたを見守る』『独りよがり』『歓迎』『目をひく容姿』と出てきた。
 僕にとっては、案内所に訪ねてくれる人への『歓迎』だ。

 

◇ファーム町田店のイートインコーナー人気メニュー
 イートインコーナーはヨシコさんが担当している。
 水曜日の朝の打合せの時、「一度食べてみる?」と言われたのが、夏野菜のトッピングのビーフカレー

              

              

 実に美味しかった。人気メニューだけのことがある美味しさだ。

高田郁著『 あきない世傳 金と銀(十三)大海篇 』を読む

 この『 あきない世傳 金と銀 』シリーズは、江戸時代に「買うての幸い、売っての幸せ」をモットーに、呉服商を営む女商人の物語だ。
 半年に1巻ペースで出ていて、僕は楽しみに読んでいたのだが、今回の13巻が最終巻。

               

    この物語を楽しみに読んでいるのには、理由がある。
 もちろん、物語の展開にハラハラドキドキ引き込まれるのだが、着物などの生地へ細かい柄や紋様を染めるために使われる伊勢型紙(三重県白子町)についても知ることが出来たし、絹や木綿の生地と型紙彫り技術、染めの技との相関関係で生まれる着物、さらには浴衣などが考案された経緯など、江戸時代の庶民にとって着物とは何なのか、その知的刺激が次々と描かれるのに興味津々で読むことができた。

 もう一つ、僕は著者の高田郁さんの江戸の風情描写が好きで、惚れ惚れしながら毎巻読んでいた。

 この最終巻でも、例えば、冒頭はこんな描写から始まる。
大門を潜って見上げる吉原の空は、細長い。/引手茶屋に仕切られた空を埋め尽くす勢いで、桜の花枝が伸びている。八分咲きの桜越し、薄紅を差して恥じらうに似た浅縹(あさはなだ)の天が覗く。」
 上手い描写だなあと思いながらも、浅縹(あさはなだ)って何だ、どんな色だと疑問が湧く。調べてみると「やわらかい青色のことで藍染により浅く染めた縹色」だったりする。
 さらに、吉原遊里の桜は、桜の季節に毎回植え替えられていたことが分かる。「幹の太さや枝ぶりの似た樹を選んで運び入れ、花見の見頃を延ばす工夫を凝らし、散って無惨な姿を晒す前に全て抜き去ってしまう。ひとのてをかけるだけかけた桜・・・」何とも贅沢な花見をしていたことを知ることが出来る。

 こんな秋の季節を描写している文章もある。
「見上げる空は高い。/迷いのない天色の空中に、赤蜻蛉(あかとんぼ)の群れが浮かぶ。秋陽(しゅうよう)の恵が江戸の隅々まで注ぎ、終日の上天気を約束していた。」
 秋の日ざし、秋の強い日ざしを「秋陽」と言うのかと気づく。
 さらに、冬の描写は、
「昨夜来の雪が、江戸の街に純白の綿帽子を被せた。/小寒の朝、陽射しはとても弱く、積雪を溶かす力を持たない。色の無い風色の中で、道端の南天のみの赤さと、行き交う人々の綿入れ、・・・・」
 実に冷え込んでいる冬の早朝のイメージを一瞬にして読者に提供してくれる表現力。凄いなあと感心しながら僕は読んでいた。

 今回の13巻の物語展開は、これから読む人の邪魔になるので、書籍説明の転載だけにしておく。
──宝暦元年に浅草田原町に江戸店を開いた五鈴屋は、仲間の尽力を得て、一度は断たれた呉服商いに復帰、身分の高い武家を顧客に持つことで豪奢な絹織も扱うようになっていた。/だが、もとは手頃な品々で人気を博しただけに、次第に葛藤が生まれていく。/吉原での衣裳競べ、新店開業、まさかの裏切りや災禍を乗り越え、店主の幸や奉公人たちは「衣裳とは何か」「商いとは何か」、五鈴屋なりの答えを見出していく。/時代は宝暦から明和へ、「買うての幸い、売っての幸せ」を掲げて商いの大海へと漕ぎ進む五鈴屋の物語・・・──

 この最終巻の最後に「作者より御礼」と書かれている中に、著者の高田郁さんは、この物語の主人公のモデルというか、この物語を書くキッカケが、江戸時代の「いとう呉服店」(のちの松阪屋)十代目店主の宇多(うた)という女性だと披露している。
 では、「伊藤宇多(いとううた)」とはどんな人物だったのかと興味が湧き調べてみた。
──1733~1806。江戸時代中期-後期の商人。享保18年生まれ。名古屋のいとう呉服店7代祐潜(すけゆき)、8代祐清、9代祐正と結婚したがいずれも死別。前名を喜代から宇多に改名しみずから10代をつぐ。宝暦13年祐恵(すけよし)と再婚、夫に家督をゆずる。明和5年11代祐恵は江戸の松坂屋を買収、江戸進出をはたす。文化3年1月24日死去。74歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。──
 このような女性商人が実在したことに驚く。

 

    こんなことで、このシリーズが今回の13巻で終わるのは、僕にと実に寂しい限りなのだ。

19日~20日は埼玉県のヤマギシの村に出張

 この夏のヤマギシの1週間の合宿セミナー「特講」が、13日から20日の会期で、埼玉県のヤマギシの村・岡部実顕地で開催された。

    

 その「特講」終盤企画に参加するために金曜と土曜日は岡部実顕地に滞在して、参加のみなさんと交流した。
 それぞれが、一週間、いままで考えたことがなかったようなテーマを、じっくりと自分に向き合いながら考えたこと、寝食を共にした参加者同士の仲良しが深まり、大きな家族になったような・・・、そんな感想がいっぱい聞かせてくれた。

 

●2日間シャッターを切ったPhotoおしゃべり

◇岡部実顕地は夏の花がいっぱい
 生活館への坂道脇にはノウゼンカズラや、玄関先には百日紅の花が綺麗に咲いていた。

    

    

 珍しい白い花を発見。

    

 「何だろう?」とレンズアプリ検索したらハツユキソウとの名前。「この、夏真っ盛りの時季にハツユキソウ?」とじっくり観察・・・。

    

 

◇「岡部隕石」
 ロビーで新聞を読んでいたら、サナエさんが「近くに、昔、隕石が落ちたこと知ってる?」という。
 その隕石の落下地点に記念碑があるというので、早朝の散歩に三重県から来ていたミツエさんと行ってみた。

    

 ヤマギシの岡部実顕地から歩いて10分ほどのところ。昔は畑だったらしいが今は老人介護施設の駐車場の一角。

    

    

    

 説明には「隕石は1958年11月26日の午後3時過ぎ、岡部村(現在の深谷市今泉)で畑仕事をしていた山﨑政雄さん(当時20歳)と父・吉作氏の間に鋭いうなりをたてて落下、地面に穴を空けた。翌日、吉作氏が80 cmほどの深さから黒い石を堀り出し、昭和34年(1959)の春に政雄さんが国立科学博物館に持参、隕石と認められた(H5コンドライト/194g)。日本にとって戦後初の落下目撃隕石であり、人の至近距離に落ちた珍しい隕石でもある。」とあった。

    

 

◇町田の芹が谷公園の「金魚のねぶた」
 岡部実顕地から電車で帰ってきて、町田に着いたのが6時ちょっと過ぎ。
 駅から歩いて15分ほどの所の芹が谷公園で、桜美林大学の学生達が夏のイベント企画「金魚のねぶた」をやっているのを思い出して寄ってみる。

    

 ねぶたには「病気を追い払う」という意味、赤い金魚には「魔除け」という意味もあり「皆さんがこの夏、ここにいることを祝福し、そしてこれからの幸せと繁栄に願いをこめて」桜美林大学芸術文化学部の学生が、町田市でとれた竹や花々を再生利用して、ハスをイメージした造形物と、金魚ねぶたを作り点灯しているとのこと。

    

    

    

    

    

 宵闇迫ってきたら、雨がぱらつき、「もっと暗くなったら綺麗だろうな」と思いながらも残念ながら公園を後にした。